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【片田舎のおっさん、剣聖になるII】モーリス・パシューシカは何者?死者蘇生を狙う教皇の目的と強さ

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モーリス・パシューシカはスフェン教の最高権威であり、第2期の教都騒乱を引き起こす中心人物。
彼が最優先するのは自分の地位よりスフェンへの信仰で、死者蘇生という「奇跡」の完成のためなら、合成獣や犠牲者まで受け入れてしまう。
しかも本人は戦闘の素人を自称しながら、強化・回復系の奇跡を桁違いの水準で扱い、ベリルたちの目でも動きを捉えにくい異常な強敵になっている。

  1. 第1章 モーリス・パシューシカはスフェン教の教皇
    1. 第2期の教都編でベリルの前に立つ、スフェン教最高位の人物
    2. モーリスは王座が欲しいのではなく、スフェンの「奇跡」を現実へ持ち込もうとしている
  2. 第2章 モーリスが狙うのは「死者蘇生」という究極の奇跡
    1. スフェン教の教典にある死者蘇生を、伝説のまま終わらせようとしていない
    2. 犠牲が出ても止まらないところに、モーリスの信仰の危うさが出る
  3. 第3章 教都の合成獣と動く死体は、モーリスの計画につながっている
    1. 婚姻の儀が進む一方で、ディルマハカでは死体と合成獣が同時に動き始める
    2. モーリスは教都の被害より、死者蘇生へ近づいた成果を見ている
  4. 第4章 モーリスが怖いのは、自分を悪だと思っていないこと
    1. ロゼが生活や文化を問い掛けても、モーリスは「信仰が先」と答える
    2. 穏やかに話しながら一線を越えるため、ベリルにも止め方が分かりにくい
  5. 第5章 モーリスはどれくらい強い?ベリルたち四人でも正面からは崩せない
    1. ハノイを膝につかせ、プラチナムランク二人を一瞬で吹き飛ばす
    2. ベリル、スレナ、ロゼ、アリューシアの四連撃さえ、反撃まで入れて返してくる
  6. 第6章 モーリスの「奇跡」は筋力だけではない|眼・脳まで強化して攻撃を見切る
    1. ベリルが見抜いたのは、動体視力・反射神経・脳まで同時に上げる強化
    2. ベリルは「見えるなら、見えなくすればいい」とロゼの盾を使って攻略する
  7. 第7章 モーリスの最期はロゼが決める|信仰を曲げない教皇との決着
    1. ベリルが動きを封じたあと、最後に向き合うのはロゼだった
    2. モーリスは最期まで考えを変えず、穏やかな表情のまま終わる

第1章 モーリス・パシューシカはスフェン教の教皇

第2期の教都編でベリルの前に立つ、スフェン教最高位の人物

モーリス・パシューシカは、
スフェンドヤードバニアで信仰される、
スフェン教の教皇。
宗教上では国王より上の権威を持ち、
教皇派の頂点に立つ人物になる。
第2期の教都編では、この老人が一気に物語の中心へ入ってくる。

見た目だけなら、
剣を振るう戦士には見えない。
年老いた男性で、
巨大な武器を持っているわけでもない。
アリューシアやスレナのような、
見るからに強そうな剣士とはまるで違う。

ところが原作でベリルたちが、
モーリスのいる場所まで辿り着くと、
その印象はすぐ崩れる。
その場にはハノイが倒され、
モーリスは大きく取り乱すこともなく、
ベリルたちを迎える。
ロゼもその人物を、
モーリス教皇として認識する。

ここで初めて、
教皇派という遠かった存在に、
はっきりした顔が付く。
第1期では、
王族暗殺を巡る裏側から教会側の力が見えていた。
しかし第2期では、
その最高位にいるモーリス本人と、
ベリルが直接向き合うことになる。

しかもモーリスは、
部下に全部を任せ、
自分だけ安全な場所にいる人物ではない。
教都の騒乱が進んだあとも、
その中心近くへ残っている。
そしてベリルたちから問い詰められても、
自分が進めてきたことを大きく隠そうとしない。

教都では、
グレン王子とサラキア王女の婚姻を巡る中で、
異常な事態が次々に発生する。
街には本来動くはずのない死体が現れ、
さらに巨大な合成獣まで投入される。
王族だけでなく、
街の人間まで危険へさらされる事態になる。

その騒動の先にいるのがモーリス。
だから、
「教皇派の偉い人」というだけでは足りない。
教都で起きている異常事態と、
直接つながる人物として出てくる。
第2期では、
宗教上の最高権威そのものが敵として立ちはだかる形になる。

しかも怖いのは、
モーリスが自分の行動を、
ただの破壊や殺人だとは見ていないこと。
街を壊したい。
王族が嫌い。
人を苦しめたい。
そういう分かりやすい悪意だけで動いている人物ではない。

モーリスには、
自分が到達したいものがある。
スフェン教が伝えてきた、
神の奇跡。
その中でも、
人間の生死そのものへ届く領域。
そこへ現実の力で到達しようとしている。

だからベリルたちと話していても、
簡単には引かない。
目の前で何人が傷ついたかより、
自分が進めているものを優先する。
その落ち着いた態度が、
むしろモーリスの危うさを強く見せる。

ベリルが相手にしてきた敵には、
剣が強い者も多かった。
力で押す。
速さで攻める。
殺意を向ける。
そういう相手なら、
危険が目に見えやすい。

でもモーリスは違う。
静かに話す。
自分の信仰を語る。
そのまま、
多くの人間を巻き込む行為まで受け入れる。
だからベリルにとっても、
剣の強さだけでは測れない相手になっている。

モーリスは王座が欲しいのではなく、スフェンの「奇跡」を現実へ持ち込もうとしている

モーリスを見る時に、
一番外したくないのがここになる。
彼は単純に、
国王を倒して自分が王になりたい人物ではない。
王冠をかぶること。
宮殿を手に入れること。
自分の財産を増やすこと。
そこが最大の目的ではない。

モーリスが重く見ているのは、
スフェンへの信仰。
教典に記された奇跡。
それが本当に存在するなら、
人の手でも現実へ近づけられるのではないか。
その考えが、
彼の行動を強く動かしている。

だから政治的な教皇派の中心人物でありながら、
行動の根には信仰がある。
王権派を弱らせれば終わりではない。
教皇派が政権を握れば満足するわけでもない。
もっと先に、
スフェン教が語ってきた奇跡の完成を見ている。

この違いを知らないと、
モーリスが何を考えているのか分かりにくい。
普通なら、
街へ被害が出れば計画を止める。
多数の死傷者が出れば、
失敗だと考える。
でもモーリスは、
同じ基準で判断していない。

信仰上の大きな到達へ近づくなら、
途中で生まれる犠牲さえ、
完成へ向かう過程として見てしまう。
だから話し合いだけで、
「人が死ぬからやめろ」と言っても届きにくい。
そもそも、
何を一番大切にするかがベリルたちと違う。

第2期でモーリスが怖いのは、
教皇だからではない。
自分の立場を守るためなら何でもする老人だからでもない。
本気で信じているものがあり、
その信仰を人命より上へ置けてしまうこと。
そこが、
教都編の中心人物としての怖さになる。

第2章 モーリスが狙うのは「死者蘇生」という究極の奇跡

スフェン教の教典にある死者蘇生を、伝説のまま終わらせようとしていない

モーリスの行動を一本につなぐのが、
死者蘇生になる。
スフェン教では、
魔術を神から授けられた奇跡として扱う。
治癒や身体強化だけでなく、
教典にはさらに上の奇跡として、
死者を蘇らせる話まで残されている。

普通なら、
それは信仰の中の物語として受け取る。
神だからできる。
人間には届かない。
そう考えても不思議ではない。
でもモーリスは、
そこで終わらせようとしない。

本当に奇跡があるのなら、
再現できる可能性がある。
もっと研究すれば、
死という境界まで越えられるかもしれない。
その可能性を、
モーリスは現実の問題として追い続ける。

ここで第1期のレビオス司教ともつながる。
レビオスもまた、
死体や人間を使いながら、
スフェンの奇跡へ近づこうとしていた。
あの事件だけなら、
異常な司教一人の暴走にも見えた。

しかし第2期で、
教皇であるモーリス自身が、
さらに先へ進んでいることが分かる。
つまり死者蘇生への執着は、
レビオスだけの個人的な考えでは済まない。
教会上層まで、
同じ領域へ踏み込んでいたことになる。

教都で動く死体が現れるのも、
その延長で見ると分かりやすい。
完全な蘇生ではない。
以前の人間が、
そのまま元気に戻ったわけでもない。
それでも、
本来なら止まるはずの死体を動かすところまで、
技術が進んでいる。

さらに合成獣まで使われる。
生き物の身体を、
自然のまま扱うのではない。
手を加える。
組み合わせる。
戦力として投入する。
生命そのものを、
研究や目的のために利用する方向へ進んでいる。

ここがモーリスの危険なところ。
「死者を救いたい」という願いだけなら、
まだ共感できる部分もある。
大切な人を失った。
死を越えたい。
そこから研究する人物なら、
悲しみが出発点に見える。

でもモーリスの場合、
完成させること自体が大きくなり過ぎている。
何人が傷つくのか。
誰が巻き込まれるのか。
街がどうなるのか。
そうした現実より、
奇跡へ近づくことを優先してしまう。

だから死者蘇生は、
優しい奇跡として描かれない。
本当に実現すれば、
失った人を取り戻せるかもしれない。
それでも、
そこへ行くまでに大量の人命を使うなら、
救いなのか分からなくなる。

ベリルたちが、
モーリスと相容れないのもここ。
ベリルは目の前の人間を守る。
スレナも、
アリューシアも、
危険にさらされている人間を助けるために戦う。
モーリスは、
その目の前の命より先に、
まだ完成していない奇跡を見る。

同じ「人を救う力」を扱っているようで、
向いている方向がまるで違う。
ベリルたちは、
今生きている人を守る。
モーリスは、
死そのものを越える奇跡を完成させようとする。
その差が、
最後には直接の戦いへつながっていく。

犠牲が出ても止まらないところに、モーリスの信仰の危うさが出る

モーリスの目的が、
単なる研究ではないと分かるのは、
犠牲者への向き合い方になる。
普通の研究者なら、
大きな事故が起きれば止める。
予想以上の被害が出れば、
方法を変える。
少なくとも、
失敗として受け止める。

モーリスは、
そこからかなり離れている。
奇跡の完成へ近づくなら、
途中の犠牲にも価値を見てしまう。
死者蘇生という大きな成果が完成すれば、
そこで失われた命さえ、
無駄ではなかったと考えられる。

ここが読んでいて怖い。
モーリス自身は、
大声で笑いながら人を殺す人物ではない。
苦しむ姿を楽しんでいるわけでもない。
むしろ穏やかに、
自分の信じることを話す。

だから止まりにくい。
悪いことをしていると自覚して、
それでも欲望に負けている人物なら、
罪悪感へ届く可能性がある。
でもモーリスは、
信仰のために必要なこととして受け止めている。

ベリルたちが、
「これだけ人が巻き込まれている」と示しても、
それだけでは考えを変えない。
モーリスの中では、
人間の生活より、
もっと上に信仰がある。
その価値の順番が、
最後まで簡単には動かない。

これは第1期の敵とはかなり違う。
金。
権力。
復讐。
そういう欲なら、
何を求めているのか分かりやすい。
モーリスは、
自分なりに正しいと思っているものを追っている。

そのため、
本人の中では筋が通っている。
スフェンを信じる。
奇跡を信じる。
奇跡の完成へ近づく。
そこで犠牲が出ても、
より大きな到達の一部として受け止める。
だからこそ、
周囲から見ると危険になる。

モーリスの記事で一番重要なのは、
「悪い教皇だった」で終わらせないこと。
彼は何を信じたのか。
何を一番上へ置いたのか。
そこが分かると、
なぜ教都を巻き込んでまで止まらなかったのかが見えてくる。

そして、
この強すぎる信仰心に、
異常な戦闘力まで加わる。
説得しても引かない。
立場だけでも止められない。
さらに力でも簡単には倒せない。
ここからモーリスは、
ベリルたちにとって本格的な強敵になっていく。

第3章 教都の合成獣と動く死体は、モーリスの計画につながっている

婚姻の儀が進む一方で、ディルマハカでは死体と合成獣が同時に動き始める

グレン王子とサラキア王女の婚姻が進む教都ディルマハカで、
ベリルたちが直面するのは、
王族を狙う刺客だけではない。
街の各所では、本来なら動くはずのない死体が立ち上がり、
さらに巨大な合成獣まで投入される。
第1期の王子暗殺より、被害の範囲そのものが広がっている。

動く死体は、
生き返った人間とは違う。
以前と同じ人格で話すわけでもなく、
家族のもとへ戻るわけでもない。
死んだ身体だけが動き、
生きている人間へ危険を及ぼす。
スフェン教が語る死者蘇生とは、
ほど遠い状態に見える。

それでも、
死体が再び動くところまでは来ている。
ここが重要になる。
モーリスが追っている死者蘇生は、
ただ教典を読んで祈るだけの話ではない。
現実の死体へ手を加え、
どこまで生へ近づけられるかという段階まで進んでいる。

さらに教都へ現れるのが合成獣。
自然界にいる魔物が偶然入り込んだのではなく、
明らかに人の手が加わった存在になる。
巨大な身体。
通常の獣とは違う構造。
しかも一体では終わらず、
複数が別々の場所へ投入される。

そのためベリルたちも、
一か所へ集まって戦えない。
アリューシア。
スレナ。
ロゼ。
現地の冒険者や騎士。
それぞれが別方向の危険へ対応し、
教都全体で同時に戦闘が起きる形になる。

この状況が厄介なのは、
王族だけ守れば終わらないこと。
婚姻の儀に集まった人々。
街で暮らす住民。
教会関係者。
騎士。
誰が巻き込まれてもおかしくない。
教都そのものが、
安全な場所ではなくなっていく。

そしてベリルたちがモーリス本人へ近づくと、
合成獣と教皇が無関係ではないことがはっきりする。
モーリスは、
合成獣を投入した事実を大きく隠そうとしない。
何体を送り込んだのかまで口にし、
自分は知らないと逃げる姿勢を見せない。

ここで、
偶発事故という可能性が消える。
研究中の生物が逃げたわけではない。
誰かが勝手に暴走させたわけでもない。
教都へ投入する。
混乱が起きる。
人が傷つく。
そこまで起こると分かったうえで、
モーリスは止めなかった。

ベリルたちから見れば、
それだけで十分に止める対象になる。
街に危険な生物を放つ。
死体まで動かす。
婚姻の儀を行っている王族も危険へさらす。
目の前で守るべき人間が増え続けるから、
一刻も早く元を断たなければならない。

ところがモーリスは、
同じ景色を別の角度から見ている。
動く死体は失敗だけではない。
合成獣も無駄ではない。
そこから得られた結果が、
次の奇跡へ近づくなら価値がある。
この考え方が、
ベリルたちとの決定的な差になる。

第1期でレビオス司教が、
死体や人間を使った研究へ踏み込んでいた時は、
一人の司教の異常な行動にも見えた。
しかし第2期では、
教皇モーリスのところまで同じ方向が伸びている。
しかも規模は、
教都全体を巻き込むところまで大きくなっている。

つまり合成獣と動く死体は、
派手な敵を出すための存在ではない。
モーリスが死者蘇生へどこまで踏み込んだのか。
その途中で、
生き物や死体をどう扱うようになったのか。
それを目の前で見せる存在になっている。

モーリスは教都の被害より、死者蘇生へ近づいた成果を見ている

ベリルたちがモーリスへ辿り着いた時、
普通なら最初に問題になるのは、
教都で起きた被害になる。
何人が傷ついたのか。
誰が死んだのか。
なぜ合成獣を放ったのか。
なぜ死体まで動かしたのか。
止める側からすれば、そこが中心になる。

でもモーリスの反応は違う。
被害が出たこと自体を、
最大の失敗とは見ていない。
死者蘇生へ近づく。
スフェンの奇跡を現実へ引き寄せる。
その目的から見れば、
途中の犠牲も完全な無駄ではないと考えている。

ここでベリルは、
相手が普通の黒幕ではないと感じる。
金が欲しいわけではない。
街を支配したいだけでもない。
王族へ恨みを晴らしたいだけでもない。
もっと大きなものを、
本人は本気で追っている。

だから、
「人が死んでいる」と言えば止まる相手ではない。
モーリスにとっては、
人間の死そのものを越える力を完成させようとしている。
その途中で命が失われても、
最後に死者蘇生へ届けば、
犠牲に別の価値を与えられると考えてしまう。

この発想が、
教都の異変全部を一本につなぐ。
動く死体。
合成獣。
研究。
婚姻の儀の日に起きた騒乱。
それぞれ別々の事件ではなく、
モーリスが目指す奇跡の周辺で起きている。

ベリルたちは、
今生きている人を守るために剣を抜く。
モーリスは、
死そのものを越える奇跡を完成させるために動く。
同じ「命」を扱っているように見えて、
何を先に守るかが真逆になる。
そこから話し合いだけでは埋まらない溝が生まれる。

第4章 モーリスが怖いのは、自分を悪だと思っていないこと

ロゼが生活や文化を問い掛けても、モーリスは「信仰が先」と答える

モーリスという人物が最もはっきり見えるのは、
追い詰められた後のロゼとの会話になる。
ロゼは、
教都で暮らしてきた人々。
長い時間をかけて作られた街。
そこで積み上げられた生活や文化を、
モーリスがどう見ているのか問い掛ける。

これはロゼだからこそ重い。
彼女自身、
第1期では教会側の事情へ巻き込まれ、
信じていた情報をもとに王族暗殺へ加担した。
孤児院の子供たちを守ろうとして、
最後にはベリルへ剣まで向けている。
教会の言葉を信じた結果、
何が起きるかを身をもって知っている。

そのロゼが、
今度は教皇本人へ聞く。
信仰が大事なのは分かる。
では、
人々が築いてきた暮らしはどうなのか。
街の歴史はどうなのか。
文化はどうなのか。
そこまで下に置いていいのかという問いになる。

モーリスは、
生活や文化に価値がないとは言わない。
ここが余計に怖い。
全部くだらないと切り捨てるなら、
まだ分かりやすい。
彼は価値があること自体は認める。
そのうえで、
信仰より上には置かない。

つまりモーリスの中では、
順番が決まっている。
一番上にスフェンへの信仰。
その下に人の生活。
文化。
街。
人間が築いてきたもの。
だから上にある信仰を守るためなら、
下にあるものが傷つくことを受け入れられる。

ロゼにとっては、
簡単に飲み込める答えではない。
目の前には、
実際に傷ついた人間がいる。
騒乱に巻き込まれた街もある。
合成獣と戦った者もいる。
それでもモーリスは、
信仰の位置だけは下げない。

ベリルも、
このやり取りを見て、
モーリスが自分の行動を罪として捉えていないことへ気付く。
普通の悪人なら、
やってはいけないと知りながら欲望へ負ける。
だから言い訳する。
隠す。
責任から逃げる。

モーリスはそこが違う。
自分の中では、
必要なことをしている。
信仰へ近づくために動いた。
死者蘇生へ進むために犠牲が出た。
その順番に、
本人の中では大きな矛盾がない。

だからベリルが怒っても、
ロゼが問い掛けても、
根の部分が簡単には動かない。
「そんなことをしたら人が苦しむ」
という常識を出しても、
モーリスは最初から別の優先順位で判断している。

この場面で、
モーリスが単なる権力欲の強い教皇ではないことが分かる。
王権派へ勝ちたいだけなら、
教都の文化まで傷つける必要はない。
自分の地位が目的なら、
もっと安全な場所へ逃げる道もある。
それでも残るのは、
信仰そのものが行動の中心にあるからになる。

穏やかに話しながら一線を越えるため、ベリルにも止め方が分かりにくい

モーリスは、
怒鳴り散らす人物ではない。
ベリルたちへ向かって、
激しく罵声を浴びせ続けるわけでもない。
追い詰められても、
比較的落ち着いた態度を崩さず、
自分の考えを言葉にしている。

だからこそ不気味になる。
人を傷つけることを楽しむ相手なら、
敵として理解しやすい。
残酷なことが好き。
支配したい。
殺したい。
そういう欲なら、
ベリルにもまだ分かりやすい。

でもモーリスは、
自分が正しい方向へ進んでいると思っている。
教典にある奇跡。
スフェンへの信仰。
死者蘇生。
そこへ近づくために、
必要なことをしているという感覚になる。

ベリルは剣士だから、
敵の動きなら読む。
肩が動く。
足が踏み込む。
視線が変わる。
そこから、
次の斬撃を予測できる。
長い経験があるから、
戦闘の中では相手をかなり深く見られる。

でもモーリスの価値観は、
剣筋のようには読めない。
人が死んだ。
それなら止まる。
街が壊れた。
それなら後悔する。
普通ならそう考えるところで、
相手が同じ反応をしない。

ロゼとの会話でも、
最後まで自分の基準を崩さない。
生活にも価値はある。
文化にも価値はある。
でも信仰より先ではない。
その答えを、
感情的な勢いではなく、
本人なりの確信として返してくる。

だから説得だけでは終わらない。
考えを変えないなら、
実際に止めるしかない。
そこで次に問題になるのが、
モーリス本人の戦闘力になる。

見た目は老人。
武人らしい大きな身体でもない。
剣を持って構えるわけでもない。
それなのに、
プラチナムランクの冒険者を吹き飛ばし、
ベリルやアリューシアの目でも、
何をしたのか追い切れない動きを見せる。

つまりモーリスは、
考えを変えないだけではない。
力ずくで止めようとしても強い。
信仰。
死者蘇生への執着。
そして異常な戦闘力。
この三つが重なったことで、
教都編でも特に厄介な相手になっている。

※この先は『片田舎のおっさん、剣聖になるII』アニメ未放送分を含む原作ネタバレがあります。

第5章 モーリスはどれくらい強い?ベリルたち四人でも正面からは崩せない

ハノイを膝につかせ、プラチナムランク二人を一瞬で吹き飛ばす

モーリスの強さが最初に異様さを見せるのは、
ベリルとロゼが合成獣の痕跡を追い、
教都の農地へ辿り着いた場面になる。
そこには倒れた合成獣だけでなく、
ヴェルデアピス傭兵団を率いるハノイまで膝をついていた。
その少し先に、戦士には見えない老人モーリスが立っている。

ベリルはハノイの実力を知っている。
以前直接ぶつかった時にも、
合成獣一体を相手に簡単に敗れる男ではないと感じていた。
だからこそ、
武器すら構えない老人の前でハノイが動けなくなっている光景だけで、
見た目を信用してはいけないと警戒する。

そこへスレナが冒険者を連れて到着し、
ほぼ同時にアリューシアも馬で現場へ駆けつける。
ベリル、アリューシア、スレナ、ロゼ。
さらにプラチナムランクの冒険者が四人。
普通なら一人の老人を拘束するには、
十分すぎる人数に見える。

アリューシアは前へ出て、
モーリスを事件の重要人物として拘束すると通告する。
モーリスは逃げるつもりはないと答えながら、
「動けなくなるのは困る」と静かに拒む。
その直後、
ハノイが「妙な技を使う」と警告する。

だが警告とほぼ同時に、
プラチナムランクの冒険者二人がモーリスへ突っ込む。
次の瞬間、
二人は何かに弾かれたように吹き飛び、
腹を押さえて地面へうずくまる。
斬られた傷もなく、
血も流れていない。

もっと異常なのは、
ベリルがその瞬間を見ていたのに、
何をされたのか分からなかったこと。
モーリスから一度も目を離していない。
それでも攻撃の動作が見えない。
ベリルがアリューシアへ「見えたか」と聞いても、
返ってくる答えは「まったく」だった。

ここでようやく、
単なる高齢の教皇という見方が完全に消える。
ベリルもアリューシアも、
速い剣や鋭い踏み込みを何度も見てきた人物。
その二人の目でも追えない。
しかもモーリスは、
戦闘姿勢らしい戦闘姿勢すら取っていない。

ベリルは状況から、
冒険者二人を倒したのは打撃だと考える。
暗器なら傷が残る。
しかし二人は腹へ強い衝撃を受けているだけ。
細い老人の腕から、
一線級の冒険者を吹き飛ばす打撃が出たことになる。

そこでベリルが辿り着くのが、
強化魔法だった。
モーリスはすぐ、
魔法ではなく「スフェン神から賜った奇跡」と訂正する。
呼び方は違っても、
ベリルには第1期のレビオス司教事件で見たものとつながった。
あの時も教会騎士が、
身体を強化する力を使って立ちはだかっている。

ただしモーリスの力は、
同じ強化でも桁が違う。
棒立ちに近い状態から、
腕や脚を動かしただけで上位冒険者を吹き飛ばす。
第1期で見た教会騎士の強化を知っているベリルだからこそ、
「同じ系統なのに出力が違いすぎる」と気付ける場面になる。

ベリル、スレナ、ロゼ、アリューシアの四連撃さえ、反撃まで入れて返してくる

ベリルは、
ここで手加減を捨てる。
スレナとアリューシアへ「合わせてほしい」と告げ、
赫々の剣を抜く。
ロゼもショートソードを中段へ構え、
四人が一斉にモーリスを囲む。

最初に踏み込むのはベリル。
下段から斬り込むが、
モーリスは半歩下がるだけで間合いを外す。
その直後、
スレナが左側から双剣の交差斬り、
ロゼが右側から突きを重ねる。

普通なら、
一度ベリルの剣を避けた直後に、
左右から来る二人の攻撃へ身体が追いつかない。
ところがモーリスは、
身体を強く捻るだけで二つの剣を回避する。
人間の関節の範囲には収まっているが、
普通なら筋肉を痛めるような姿勢になる。

さらにその背後へ、
アリューシアが一瞬で回り込む。
ベリル、スレナ、ロゼの連撃で体勢は崩れている。
そこへ王国騎士団長の袈裟斬り。
ベリルも、
これは当たると見ていた。

だがモーリスは、
捻れた身体をさらに捻り、
普通なら蹴りを出せない角度からアリューシアの腹を蹴る。
アリューシアは宙へ浮き、
そのまま二度、三度と地面を転がる。
すぐには立てないほどの打撃になる。

王国騎士団長が、
老人の蹴り一発で戦線を外される。
この場面だけでも、
モーリスの強さはかなり分かりやすい。
しかも本人は、
相手が殺す気で来たから自分も対応しただけだと、
大きく興奮する様子もなく返している。

アリューシアを蹴られたスレナは、
すぐに竜双剣で猛攻へ移る。
ブラックランクの最上位冒険者が放つ、
速度の高い連撃。
それでもモーリスは、
剣を受けずに回避し続ける。

ここでベリルは、
単純に身体が強化されただけでは説明できないと気付く。
スレナほどの連撃を、
身体能力だけで何度も見切るのはおかしい。
速く動けても、
攻撃を認識できなければ避けられない。
そこからモーリスの強さの本当の仕組みへ近づいていく。

第6章 モーリスの「奇跡」は筋力だけではない|眼・脳まで強化して攻撃を見切る

ベリルが見抜いたのは、動体視力・反射神経・脳まで同時に上げる強化

スレナの双剣が何度振られても当たらないのを見て、
ベリルは一度彼女を下がらせる。
ここで力押しを続けないのが、
ベリルらしいところになる。
相手が速いなら、
なぜ速いのかを戦いながら読む。

そしてベリルが口にしたのが、
「眼だ」という答え。
モーリスは筋肉だけではなく、
眼と、おそらく脳まで強化している。
モーリス本人も、
その指摘を聞いてベリルの観察眼を評価する。

強くしているのは腕力だけではない。
動体視力。
反射神経。
目から入った情報を処理する脳。
そして処理した結果どおりに動く全身。
それらを同時に底上げしている。

この仕組みなら、
アリューシアの背後からの一撃を避けたことも、
スレナの双剣を何度もかわしたことも説明できる。
攻撃が来てから身体を速く動かすだけではない。
まず攻撃そのものを、
普通の人間より細かく見ている。

スレナも話を聞いて、
「体捌きは素人なのに、なぜか当たらない」ことへ納得する。
ここがモーリスの面白いところ。
本人も自分は戦闘の素人だと認めている。
剣術も格闘術も、
ベリルたちのように積み上げてきたわけではない。

それでも眼で見える。
脳が追いつく。
身体が無理やり動く。
だから本来なら、
武術経験がなければ避けられない剣まで避けてしまう。
技術不足を、
奇跡による身体性能で強引に埋めている形になる。

アリューシアが一撃で戦線を外れたことも、
この力の大きさを示している。
意識は残っている。
しかしすぐには立てない。
常人以上に鍛えた王国騎士団長が、
腹への蹴り一発で動けなくなるほど、
打撃側の強化も大きい。

ベリルは、
ハノイが倒された仕組みも同じだと考える。
どれだけ強い相手でも、
攻撃が当たらなければモーリスを倒せない。
反対に、
強化された拳や蹴りを何度も受ければ、
頑丈な人間でも身体がもたない。

ここで第1期のレビオス司教事件が、
もう一度効いてくる。
あの時点でスフェン教側には、
回復や身体強化を「奇跡」として扱う技術があった。
第2期のモーリスは、
その力を教皇本人が極端な水準まで使った存在になる。

だからモーリスの強さは、
突然出てきた別物ではない。
第1期で見せていた教会側の技術を、
最高権威の人物がさらに高い精度で扱っている。
過去の場面を覚えているほど、
「教皇ならここまで使えるのか」とつながる。

ベリルは「見えるなら、見えなくすればいい」とロゼの盾を使って攻略する

仕組みを見抜いても、
すぐモーリスへ剣が当たるわけではない。
ベリルとスレナが再び攻めても、
モーリスは寸前でかわし続ける。
スレナの双剣。
ベリルの剣。
またスレナの双剣。
次々に空を切る。

モーリス自身も、
自分は戦闘の素人だから、
下手に反撃しない方がいいことくらいは分かると口にする。
つまり、
無理に攻撃せず、
強化された眼と反応で回避へ集中する。
これだけでも非常に崩しにくい。

そこでベリルは、
ロゼへ役目を渡す。
ロゼはすぐ攻撃せず、
ベリルとスレナが連撃を続ける横から、
少しずつ間合いを詰めていく。
モーリスの注意は、
正面から剣を振り続ける二人へ向いている。

何度目かの攻防で、
ベリルがわざと大きめの斬り上げを出す。
威力はあるが、
その分だけ隙も大きい。
強化されたモーリスの眼は、
当然そこを見逃さない。
すぐに拳でベリルを狙う。

その瞬間、
ロゼが二人の間へ割り込む。
モーリスの拳を、
カイトシールドで真正面から受け止める。
素手で盾を殴ったとは思えないほど重い音が響くが、
本当の狙いは防御だけではない。

盾が、
モーリスの視界を塞ぐ。
眼がどれだけ強化されていても、
見えない場所までは見切れない。
ベリルはロゼが作った一瞬の死角へ入り、
赫々の剣を逆手へ持ち替える。

大きく振りかぶる必要はない。
切っ先が届けばいい。
ロゼの盾の陰から伸びた剣は、
そのままモーリスの腹部へ深く入る。
「眼と脳まで強化する」という最大の武器を、
視界そのものを奪って破った瞬間になる。

さらにベリルは、
腹へ刺さった剣を引き抜くだけでは終わらせない。
モーリスが回復して逃げる可能性まで考え、
今度は肩を剣で貫き、
そのまま地面へ縫い留める。

実際、
モーリスは無敵ではない。
剣が入れば傷つく。
痛みもある。
身体の動きも鈍る。
だからベリルは、
奇跡そのものを上回る力を出したのではなく、
能力の仕組みを見抜き、
ロゼと連携して使わせない状況を作った。

モーリスの強さがよく分かるのは、
結局ベリル一人の正面勝負では終わらなかったこと。
スレナが攻め続ける。
ロゼが盾で視界を奪う。
アリューシアもそれ以前の連撃へ参加する。
その積み重ねで、
ようやく剣が届いている。

老人なのに怪力だから強いのではない。
筋力。
眼。
反射。
脳。
さらにスフェン教が積み上げてきた強化の技術。
それらを同時に使うことで、
ベリルたちの剣を「見てから避けられる」。
モーリス・パシューシカの異常な強さは、
この一点に集約されている。

第7章 モーリスの最期はロゼが決める|信仰を曲げない教皇との決着

ベリルが動きを封じたあと、最後に向き合うのはロゼだった

ベリルたちの連携で、
モーリスの強化された眼と反応を崩し、
腹部へ剣を通したあとも、
戦いはすぐには終わらない。
モーリスには治癒の奇跡があるため、
単純に傷を負わせただけでは、
再び立ち上がる可能性が残っている。

そこでベリルは、
モーリスの肩を剣で貫き、
そのまま地面へ縫い留める。
動けば傷が広がる。
簡単には逃げられない。
ここでようやく、
老人一人を相手に続いていた激戦が止まる。

ただし、
ベリルはその場でモーリスへ止めを刺さない。
剣で勝ったから終わりではなく、
最後にモーリスへ向き合う人物として、
ロゼが残っているからになる。

ロゼにとってモーリスは、
ただの敵ではない。
自分が所属していたスフェン教。
教会騎士団。
その上に立つ教皇。
第1期では、
ロゼ自身が教会側の事情へ巻き込まれ、
グレン王子暗殺へ手を貸すところまで追い込まれた。

孤児院の子供たちを守りたい。
そのために従わなければならない。
結果として、
尊敬していたベリルへ剣を向ける。
ロゼは一度、
教会という大きな組織の中で、
自分の判断を失いかけた人物になる。

だから教都で、
モーリスへ最後の問いを向ける役目がロゼになる。
教会の外から来たベリルではない。
王国騎士団長のアリューシアでもない。
かつてスフェン教の騎士として働いていたロゼだからこそ、
教皇へ確かめたいことが残っている。

ロゼが問うのは、
人々が積み上げてきたものについて。
毎日の暮らし。
街。
文化。
長い時間をかけて受け継がれてきたもの。
それらを壊してでも、
信仰を優先するのかという問いになる。

モーリスは、
ここでも大きく取り乱さない。
自分の考えを、
最後まで変えない。
人間の生活や文化にも価値はある。
ただし、
信仰より上には置かない。

この答えを聞いたことで、
ロゼの中でも決着がつく。
考えが違うだけではない。
これからも同じ価値の順番で動けば、
また誰かが犠牲になる。
教会の名の下で、
人の命や暮らしが後回しにされる可能性が残る。

ロゼは、
そこでモーリスへ別れを告げる。
そしてショートソードを構え、
モーリスの額へ突き立てる。
大勢が囲んで一斉に止めを刺すのではなく、
最後はロゼ一人の手で終わらせる。

この場面が重いのは、
ロゼが復讐だけで剣を振るっているわけではないこと。
第1期では、
自分が利用され、
追い詰められ、
ベリルに止めてもらった。
第2期では逆に、
自分の目で状況を見て、
自分の考えで教皇へ剣を向ける。

以前のロゼは、
誰かの命令や人質によって動かされていた。
この時のロゼは違う。
モーリスの言葉を聞く。
自分で判断する。
そして自分の意志で、
最後の一歩を選ぶ。

だからモーリスの最期は、
教皇を倒した場面であると同時に、
ロゼが教会に振り回される立場から離れたことを示す場面にもなる。

モーリスは最期まで考えを変えず、穏やかな表情のまま終わる

モーリスの最期で印象に残るのは、
死ぬ直前まで、
自分の信仰を否定しないことになる。
ベリルに負けた。
身体を地面へ縫い留められた。
ロゼからも問いを突き付けられた。
それでも、
自分が積み上げてきたものを崩さない。

普通なら、
追い詰められたところで本音が出る。
命が惜しい。
助けてほしい。
自分は間違っていた。
そうした言葉が出ても不思議ではない。

でもモーリスは、
最後までモーリスのまま。
信仰が最も大切。
奇跡へ近づくことにも価値がある。
その考えを、
敗北したからといって急に捨てない。

ロゼの剣を受ける時も、
激しく取り乱す姿ではない。
原作では、
最後まで穏やかな表情を残している。
ここが、
モーリスという人物を最後まで不気味にしている。

自分が悪だったと認めて死ぬのではない。
ベリルたちに論破されて、
考えを改めたわけでもない。
本人の中では、
最後まで信仰に従って生きたことになる。

だから読者側にも、
単純な爽快感だけは残らない。
倒す必要はあった。
教都で実際に被害も出ている。
合成獣も動く死体も、
放置できるものではない。
それでも、
本人は最後まで確信を持ったまま死んでいく。

ベリルも、
モーリスを倒したことで、
すべてを理解したわけではない。
剣なら読める。
動きなら対応できる。
でも、
信仰を最優先する人間の考え方までは、
最後まで完全には共有できない。

そこが、
モーリス戦をただの強敵戦で終わらせない。
最初は、
老人なのになぜ強いのかが気になる。
戦えば、
強化された眼や脳、
身体能力の異常さが見えてくる。
最後には、
その力よりも、
本人が何を信じ続けたのかが残る。

モーリス・パシューシカは、
スフェン教の教皇。
死者蘇生という奇跡を追い、
その途中で大きな犠牲まで受け入れた人物。
そして最後まで、
自分の信仰を曲げないまま、
ロゼの剣で生涯を終える。

だからこの人物を、
「強い教皇」「教都編の黒幕」だけで見ると薄い。
第1期から続いていた教会側の問題。
ロゼが巻き込まれた事件。
レビオスが進めていた奇跡の研究。
第2期の死者蘇生と合成獣。
それらがモーリスのところで一つにつながる。

ベリルが剣でモーリスを止め、
ロゼが最後の問いを投げ、
自分の手で決着をつける。
教都編の最後に残るのは、
誰が一番強かったかだけではない。
人の命より上へ何を置くのか。
その違いが、
最後まで埋まらなかった教皇との戦いになる。

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