攻殻機動隊の義体とは、生身の身体の一部または全身を人工の身体へ置き換える技術になる。
義体と電脳は同じものではなく、身体を機械化するのが義体化、脳を情報ネットワークへつなぐのが電脳化。
草薙素子の全身サイボーグとしての強さと不安を追うことで、攻殻機動隊の設定と世界観の中心が見えてくる。
第1章 結論|義体は人工の身体、電脳はネットへつながる脳
義体化と電脳化は同じ技術ではない
『攻殻機動隊』に登場する義体とは、
失われた腕や脚、眼、内臓などを、
人工的な機械へ置き換えた身体のことになる。
生身の肉体を補う技術が、高度に発達したものと考えると分かりやすい。
腕だけを機械へ換えた人もいる。
眼だけを高性能な義眼へ換えた人もいる。
身体のほとんどを機械化した者もいる。
草薙素子のように、中枢神経系を除いて全身を換えた者もいる。
義体化された人間は、ロボットになったわけではない。
人工の身体を自分の意思で動かしている。
外見が機械に見えなくても、
皮膚の下には人工筋肉や金属製の骨格が組み込まれている。
一方の電脳化は、身体を機械へ換える技術ではない。
脳と情報ネットワークを直接接続できるようにする技術になる。
頭の中だけで会話する。
離れた場所の情報へ触れる。
他人の電脳へ侵入することまで可能になる。
つまり、義体は身体側の技術。
電脳は脳と情報側の技術。
義体化していなくても、電脳化だけを受けることはできる。
反対に、高性能な義体を自在に操るには電脳との接続が深く関わってくる。
公安9課の会話では、隊員たちが口を動かさないまま話すことがある。
作戦中に敵へ聞かれず連絡を取る。
映像や位置情報を共有する。
目の前の相手と向き合いながら、別の相手とも電脳通信を続けている。
ここが『攻殻機動隊』の世界を初めて見る時に混乱しやすい。
全身義体だから電脳化しているのではない。
電脳化した脳が、人工の身体を操作している。
二つの技術が重なることで、草薙素子の身体と能力が成立している。
草薙素子は機械の身体を使う人間であり、ロボットではない
草薙素子は、全身義体のサイボーグになる。
脳や脊髄を含む中枢神経系を電脳殻で守り、
それ以外の身体を人工物へ置き換えている。
見た目は若い女性でも、外見だけで実年齢を判断することはできない。
義体は交換できる。
腕が壊れれば新しい腕へ換えられる。
身体全体が破壊されても、
脳殻が無事なら別の義体へ移る道が残る。
1995年の劇場版では、素子の身体が破壊された後、
バトーが用意した少女型義体で目を覚ます。
以前より小さな身体。
違う顔。
違う声。
それでも中にいる存在は、バトーとの記憶を持つ草薙素子だった。
この場面を見ると、義体が服に近いものにも見えてくる。
身体を換えても、本人の記憶は残る。
公安9課で過ごした時間も残る。
バトーとの関係も、別の義体へ移っただけでは消えない。
だが素子自身は、そこまで簡単には割り切っていない。
身体のほとんどが製造された機械。
顔も体格も交換できる。
記憶さえ電脳へ侵入され、書き換えられる危険がある。
劇場版で素子は、街の中で自分と同じ顔を持つ女性を見掛ける。
相手はこちらに気付かず歩いていく。
同じ型の義体を使っているだけなのか。
自分の顔が自分だけのものではない光景を、素子は黙って見送る。
海へ潜る場面でも、素子は自分の身体を確かめるように沈んでいく。
重い義体が暗い水中へ落ちる。
故障すれば浮上できない。
バトーが危険を心配しても、素子は潜水をやめない。
水面へ浮かび上がる瞬間、
水の向こう側に同じ姿が重なる。
身体を換えられる自分は、どこまでが本当の自分なのか。
義体は素子へ強さを与える一方で、その疑いも消せない。
それでも素子は、命令だけで動く機械ではない。
自分で判断する。
迷う。
仲間を信じる。
自分が何者なのかを考え続ける。
『攻殻機動隊』でサイボーグとロボットを分けるものは、
生身の部品がどれほど残っているかだけではない。
その身体を自分だと感じる意識。
経験によって形作られた人格。
作中では、それらを示す言葉として「ゴースト」が使われている。
義体は素子の外側にある人工の殻。
電脳は情報世界へつながる脳。
その内側で、自分は確かに存在していると感じるものがゴーストになる。
この三つを分けて見ると、攻殻機動隊の設定が一気につながってくる。
第2章 義体とは何?腕だけの人から全身サイボーグまで
身体の一部だけを機械へ換える部分義体も広く使われている
義体化した人間が、全員草薙素子のような姿になるわけではない。
腕だけ。
脚だけ。
眼だけ。
身体の必要な箇所だけを人工物へ換える人も多い。
事故や戦争で失った部位を補う。
病気になった臓器を人工臓器へ換える。
仕事や戦闘に必要な能力を高める。
義体化へ進む入口は、一人ずつ違っている。
公安9課のバトーは、眼に特徴的な義眼を入れている。
両眼へ並んだレンズは、
暗い場所や遠距離の対象を捉え、
戦闘や監視で高い能力を発揮する。
バトーは眼だけの義体化ではない。
身体の多くを人工化した重度のサイボーグになる。
大柄な義体による腕力を持ち、
銃撃戦や格闘でも前線へ出る。
それでも草薙素子とは少し違う。
素子は中枢神経系を除く全身が義体。
バトーはほぼ全身を義体化しているが、
作品によって身体の残り方や描かれ方には違いがある。
公安9課には、義体化の程度が低い隊員もいる。
トグサは生身に近い身体を残している。
義体による怪力では素子やバトーに及ばない。
その代わり、生身に近い人間の感覚を保ったまま事件へ向き合う。
『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』では、
トグサが旧式のリボルバーを愛用している。
自動拳銃や高性能装備がある中でも、
自分の手で扱う感覚を大切にしている人物になる。
義体化が当たり前になった社会でも、
誰もが最大限まで身体を機械化するわけではない。
生身の感覚を残したい者もいる。
費用を負担できない者もいる。
心と身体の違和感に耐えられない者もいる。
人工の身体へ換えれば、すぐ超人になれるわけでもない。
新しい腕を自分の腕として感じるまでには、
神経との接続や制御が必要になる。
身体の一部を換えたことで、他の部位へ負担がかかる場合もある。
強力な義手を付けても、
生身の肩や背骨が出力へ耐えられなければ使い切れない。
脚だけを高出力化しても、
腰や内臓へ衝撃が伝わる。
一部だけを強くすれば済むほど、身体は単純ではない。
そのため義体化は、欠損した部位を埋めるだけでは終わらない。
身体全体の釣り合いを見ながら、
必要な部分をさらに機械化することもある。
一箇所の交換が、別の義体化へつながる場合もある。
全身義体は強さと引き換えに、身体を自分で維持できなくなる
全身義体になれば、生身の人間を越える能力を得られる。
高い場所から飛び降りる。
重い武器を扱う。
強化された脚力で走る。
人間の筋肉では出せない力を発揮できる。
『攻殻機動隊』の冒頭で素子は、高層建築の屋上から飛び降りる。
身体へ熱光学迷彩を働かせ、
姿を消したまま標的へ近づく。
生身の身体では不可能な侵入を、義体の能力で実行する。
銃撃を受けても、生身とは損傷の仕方が違う。
人工皮膚が裂ける。
内部の機械が露出する。
部品を交換すれば再び動ける場合もある。
戦闘用義体は、公安9課の任務を支える大きな力になる。
だが義体にも限界はある。
劇場版終盤で素子は、
多脚戦車の上へ乗り、
装甲ハッチを腕力だけで引き開けようとする。
背中の人工筋肉が大きく盛り上がる。
皮膚が裂ける。
関節へ限界を越えた負荷がかかる。
最後には両腕が引きちぎれ、義体は動けなくなる。
素子ほど高性能な全身義体でも、
無制限の力を出せるわけではない。
機械には出力の上限がある。
骨格や人工筋肉には耐久限界がある。
壊れれば、本人の意思だけでは動かせない。
さらに義体は、定期的な整備を必要とする。
人工皮膚。
感覚器官。
人工筋肉。
神経と機械をつなぐ接続部分。
使い続ければ摩耗し、不具合も起きる。
生身の身体なら、傷が治ることもある。
義体の場合、破損した部品を自分で再生することはできない。
製造企業や整備技術者へ身体を預け、
交換や修理を受けなければならない。
そこには費用もかかる。
高性能な義体ほど、誰でも持てるものではない。
公安9課のような組織に所属する者は、
任務用の高出力義体を使える。
一般人が同じ身体を手に入れられるとは限らない。
『S.A.C.』では、素子が外見の違う義体や遠隔操作用の身体を使う。
子供の姿をしたデコットへ入り、
本来の身体とは違う外見で動くこともある。
全身義体だからこそ、用途に合わせて器を換えられる。
しかし、身体を換えられる自由は、
今の身体が唯一の自分ではないという不安にもつながる。
同じ型の義体が量産されている。
企業が部品の供給を止めれば維持できない。
身体の所有権さえ、自分だけのものとは言い切れない。
義体化は、人間を単純に強くする技術ではない。
失った身体を取り戻す。
生身を越える力を得る。
別の姿へ移る。
その代わり、自分の身体を機械と社会へ預けることになる。
草薙素子が全身義体であることは、
戦闘能力を示す設定だけではない。
強い身体を持ちながら、
その身体が自分だけのものではないという矛盾を抱えている。
だから義体を知ると、素子の見え方も変わる。
敵の銃弾をかわす強さ。
義体が壊れても任務へ進む覚悟。
同時に、自分の外見や記憶へ確信を持てない孤独。
攻殻機動隊の義体とは、
人間を機械へ近づける装備ではない。
身体を交換できる時代になっても、
自分は自分だと言えるのかを突き付ける技術になる。
第3章 全身義体の身体はどう動く?素子の怪力と交換可能な肉体
人工筋肉と金属骨格が、生身を越える力を生み出す
草薙素子の全身義体は、
外見だけを見ると普通の女性の身体に近い。
だが人工皮膚の下には、
生身とは異なる骨格と人工筋肉が組み込まれている。
人工筋肉は、電脳から送られた命令によって動く。
腕を曲げる。
脚で地面を蹴る。
銃を構える。
本人は生身の身体と同じ感覚で義体を操作している。
ただし、その出力は人間の筋力を大きく越えている。
高所から飛び降りる。
重い武器を支える。
生身の相手を押さえ込む。
公安9課の任務では、この身体能力が何度も生かされている。
1995年の劇場版では、
素子が高層建築の屋上から飛び降りる場面がある。
落下しながら熱光学迷彩を起動し、
姿を消したまま標的のいる部屋へ接近する。
地面へ降りた後も、
生身の人間のように衝撃で動けなくなることはない。
義体の脚と骨格が着地の負担を受け止める。
素子はそのまま追跡と戦闘へ移っていく。
『S.A.C.』でも、素子は格闘戦で高い出力を見せる。
相手の銃口を外す。
重い身体を投げ飛ばす。
壁や床を使って素早く間合いを詰める。
義体の性能と戦闘経験が重なることで、少佐の強さが成立している。
だが素子の義体が強いのは、
単に大きな力を出せるからではない。
動作が速い。
照準が正確。
視覚や聴覚から入った情報を、ほとんど遅れなく身体へ返せる。
相手が引き金を引く動き。
足元へ落ちた薬莢。
建物の奥から近づく足音。
それらを電脳で処理し、
義体が即座に回避や反撃へ動く。
つまり全身義体の強さは、
人工筋肉だけで決まらない。
電脳が情報を読み、
判断を下し、
機械の身体が正確に応えることで完成する。
高性能な義体でも、限界を越えれば身体は壊れる
義体は生身より頑丈だが、
決して壊れない身体ではない。
弾丸を受ければ人工皮膚が裂ける。
関節へ過剰な負荷がかかれば動かなくなる。
内部の配線や人工筋肉にも耐久限界がある。
劇場版終盤で、
素子は人形使いの義体を守る多脚戦車と対峙する。
銃撃をかわしながら装甲の上へ乗り、
閉じられたハッチを両手でこじ開けようとする。
素子の背中が大きく盛り上がる。
人工筋肉が限界まで出力を上げる。
肩から腕へ負荷が集中し、
皮膚が裂け、内部の構造が露出していく。
それでも素子は手を離さない。
人形使いへ接続しなければ、
自分が何者なのかを確かめられない。
その執念が、義体の安全装置より前へ出る。
次の瞬間、両腕が耐え切れずに破損する。
身体を支えられなくなり、
素子は戦車の上へ倒れ込む。
全身義体の怪力を見せた直後、その身体の限界もはっきり現れる。
ここで分かるのは、
素子が強いのは義体が無敵だからではないということ。
壊れると分かっていても動く。
身体の損傷より任務を優先する。
その判断を下すのは、機械ではなく素子自身になる。
義体は交換できる。
だが壊れている最中の痛みや恐怖まで、
すべて消えるわけではない。
動かなくなる身体を自分のものとして感じながら、
素子は最後まで人形使いへ手を伸ばしている。
融合後、素子は少女型義体で目を覚ます。
以前の大人の身体は失われている。
手足の長さも、顔も、声も違う。
それでも記憶と意識は続いている。
この場面は、全身義体の特徴を最も分かりやすく見せる。
身体は壊れる。
身体は換えられる。
外見まで別人になれる。
それでも本人が完全に消えるとは限らない。
草薙素子にとって義体は、
一度手に入れた永久の身体ではない。
任務に使い、
壊れれば失い、
必要なら別の器へ移る身体になる。
だから全身義体は、
生身を越える強さだけを与える技術ではない。
身体を交換できる自由と同時に、
今の身体が自分だけのものではない不安まで抱えさせる。
第4章 義体と電脳は何が違う?記憶へ侵入できる世界
電脳化すると、声を出さずに会話し情報へ直接触れられる
義体が人工の身体なら、
電脳は脳と情報を直接つなぐ仕組みになる。
頭の中へ通信機能を持たせ、
ネットワークや他人の電脳へ接続できる。
公安9課の隊員たちは、
作戦中に口を動かさず会話する。
敵がすぐ近くにいても、
声を聞かれることなく指示を伝えられる。
仲間の視界や位置情報を共有することもできる。
草薙素子は、離れた場所にある機械へ接続する。
監視映像を見る。
車両を操作する。
相手の通信へ入り込む。
身体を動かさず、電脳だけで別の場所へ触れられる。
『S.A.C.』では、
公安9課の会議中にも電脳通信が使われる。
表向きの会話を続けながら、
別の回線で仲間へ本音を伝える。
同じ空間に複数の会話が同時に流れている。
電脳化によって、
情報は画面の外から見るものではなくなる。
脳へ直接入る。
目の前に映像として重なる。
本人の記憶と外部の情報の境界まで薄くなる。
便利な反面、
接続できるということは侵入される危険もある。
通信を盗まれる。
視覚を奪われる。
身体の操作へ干渉される。
さらに深く入られれば、記憶そのものを書き換えられる。
この電脳への侵入が、
作中で「ゴーストハック」と呼ばれる。
本人の意識を残したまま情報を変える。
自分の判断だと思わせながら、
別の人間の目的へ向かわせる。
義体への攻撃なら、身体へ傷が残る。
だが電脳への攻撃は、
本人が被害を受けたことすら分からない場合がある。
そこが『攻殻機動隊』の世界で最も恐ろしい部分になる。
清掃員は存在しない妻と娘を、本物の家族だと信じていた
劇場版でゴーストハックの怖さが表れるのが、
清掃員の男の事件になる。
男は、自分には別れた妻と娘がいると信じている。
娘へ会いたいという思いを、ずっと抱えている。
ある人物から、
妻の電脳へ入り込む方法を教えられたと思い込む。
清掃の仕事をしながら公衆電話へ装置をつなぎ、
指定された手順で通信を繰り返す。
男は犯罪をしている自覚がない。
妻の居場所を知りたい。
娘へ会いたい。
家族を取り戻したい。
その気持ちだけで動いている。
だが実際には、
男の通信が政府関係者への侵入へ利用されていた。
妻を探しているつもりの行動が、
人形使いの電脳工作を助けていた。
公安9課に捕まった後、
男は妻と娘が写っているという写真を見せる。
ところが写真にいるのは、男一人だけ。
結婚した記録もない。
娘が生まれた記録も残っていない。
妻との出会い。
娘が成長した時間。
離婚した痛み。
もう一度会いたいという願い。
それらはすべて、後から植え付けられた記憶だった。
現実には家族がいなくても、
男が感じている悲しみは消えない。
娘を愛していた記憶も、
妻に捨てられた苦しみも、
本人にとっては実際に生きた人生になる。
偽物だと告げられた瞬間、
男は存在しなかった家族を失う。
最初からいなかった娘へ、
もう二度と会えないと知らされる。
記憶への侵入が、人間の人生そのものを壊す場面になる。
この事件を見た素子も、
他人事ではいられない。
自分の記憶が本物だと、
誰が証明できるのか。
全身義体の自分は、どこから本人なのか。
電脳化された社会では、
記憶が本人だけの領域ではなくなる。
盗まれる。
書き換えられる。
存在しない過去さえ、本人の人生として植え付けられる。
だから電脳は、
便利な通信機器だけではない。
人間の心へ直接つながる扉になる。
開いている限り、外の世界と結ばれる。
同時に、外から自分の中へ入られる危険も消えない。
義体は身体を機械へ換える。
電脳は脳を情報へつなぐ。
二つが重なることで人間の能力は大きく広がる。
だが身体だけでなく、記憶や人格まで他人の手が届く世界になる。
『攻殻機動隊』の電脳とは、
便利さを支える設定だけではない。
自分が見たもの。
自分が覚えているもの。
そのすべてを、どこまで信じられるのかを突き付ける技術になる。
第5章 草薙素子は脳だけ人間なのか?全身サイボーグの正体
全身義体でも、草薙素子の中には人間としての記憶が残っている
草薙素子は、身体のほとんどを義体へ換えている。
腕も脚も、眼も皮膚も人工物。
見た目は人間でも、
その肉体は工場で製造され、交換できる身体になる。
それでも素子は、ロボットではない。
過去の記憶を持っている。
公安9課の仲間を覚えている。
自分の判断で任務を選び、危険へ踏み込んでいく。
素子に残っている生身の部分は、
作品によって細かな表現に差がある。
ただし共通しているのは、
脳や中枢神経系を電脳殻の中へ保護している点になる。
その脳殻を別の義体へ移せば、
外見も体格も変えられる。
大人の女性型義体から、
少女型の身体へ移ることもできる。
身体が変わっても、素子の記憶までは消えない。
1995年の劇場版終盤では、
多脚戦車との戦いで素子の義体が大破する。
両腕を失い、
人形使いとの融合後には頭部まで狙撃される。
以前の身体へ戻る道は、その場で断たれてしまう。
次に目を覚ました素子は、
バトーが用意した少女型義体へ入っている。
手足は短い。
声も以前とは違う。
鏡へ映る姿だけを見れば、草薙素子とは分からない。
それでもバトーとの会話は続く。
過去の記憶がある。
事件の結末も覚えている。
身体を失っても、素子だった存在は途切れていない。
ここだけを見ると、
人間の正体は脳にあるようにも思える。
脳さえ無事なら、
身体が何度変わっても同じ本人として生きられる。
だが『攻殻機動隊』は、
そこまで単純には答えを出さない。
電脳化された脳は、
外部から侵入され、記憶を書き換えられる危険を抱えている。
記憶まで偽物だった場合、
脳が残っているだけで本人と言えるのか。
身体も交換可能。
顔も量産品。
過去さえ他人に触れられる。
草薙素子は、
脳だけ残っているから人間なのではない。
疑いながらも自分で選ぶ。
その選択を重ねることで、
草薙素子という一人が続いている。
同じ顔の義体とすれ違う場面が、素子の孤独を映している
劇場版の街中で、
素子は自分と同じ顔を持つ女性を見掛ける。
車窓の向こうにいる女性は、
素子の方を気にすることなく通り過ぎていく。
その女性が本当に同型義体なのか。
偶然似ているだけなのか。
作中では詳しく説明されない。
ただ素子だけが、その姿へ視線を止める。
生身の人間なら、
顔には育ってきた時間が刻まれる。
傷。
表情の癖。
年齢による変化。
同じ顔がそのまま街を歩くことは、ほとんどない。
だが義体の顔は製品になる。
同じ型を選べば、
別の人間が同じ外見を持てる。
素子の顔は、草薙素子だけの証明にはならない。
公安9課で少佐と呼ばれ、
圧倒的な電脳戦能力を持ち、
仲間から信頼されている。
それでも鏡へ映る身体は、
自分専用に生まれたものではない。
素子が海へ潜る場面にも、
同じ不安が流れている。
重い義体のまま水中へ沈み、
暗い海の底から水面へ浮かび上がる。
上へ向かう素子と、
水面に反射した素子が重なる。
同じ姿が上下に並び、
どちらが本当の自分なのか分からなくなるような光景になる。
船で待つバトーは、
義体に異常が起きれば沈むと心配する。
素子も危険は承知している。
それでも一人で海へ入ることをやめない。
水面へ浮かぶ時、
違う自分になれるような感覚がある。
素子は、そんな趣旨の言葉を口にする。
固定された身体から一度離れようとする時間にも見える。
普段の素子は強い。
銃撃戦で迷わない。
電脳へ侵入する時も、
部下へ指示を出す時も冷静に見える。
だが義体から離れられない自分へ、
確信を持っているわけではない。
顔が同じ者とすれ違い、
海の中で自分の姿と向き合い、
何が自分を自分にしているのかを探している。
人形使いが素子を選んだのも、
この揺らぎを持っていたからになる。
人間から機械へ近づいた素子。
情報から生命へ近づいた人形使い。
二人は反対側から、同じ境界へ立っていた。
全身サイボーグの草薙素子は、
脳だけが人間だから特別なのではない。
身体も記憶も疑える世界で、
それでも自分の意思を手放さない。
その姿があるから、
義体は単なる強化装備では終わらない。
身体を換えても、
自分は自分のままなのか。
素子の存在そのものが、その問いを背負っている。
第6章 義体になっても食事や痛みはある?日常生活と弱点
義体にも感覚があり、痛みや触れた感触を受け取れる
義体は機械の身体だが、
何も感じない金属の塊ではない。
人工皮膚や感覚器官から入った情報が、
電脳を通じて本人へ伝えられる。
物へ触れた硬さ。
空気の冷たさ。
銃撃を受けた衝撃。
身体を動かした時の重さ。
それらを感じなければ、義体を自分の身体として操れない。
素子が格闘する時も、
相手との距離を感覚で捉えている。
足の裏で床を踏む。
腕へかかった力を読む。
指先で銃の引き金を感じる。
痛覚も完全に消えているとは限らない。
損傷を知らせる信号として、
一定の痛みは必要になる。
腕が壊れているのに気付かなければ、さらに破損が広がる。
一方で、戦闘中は感覚を制限できる場合もある。
痛みを弱める。
不要な刺激を切る。
生身の人間なら動けなくなる損傷でも、
義体なら任務を続けられる可能性がある。
劇場版で素子の両腕が破損した時も、
義体は激しく裂けている。
だが素子は恐怖で叫び続けるのではなく、
残された電脳接続へ意識を向ける。
痛みがないというより、
痛みより先にやるべきことを選んでいる。
義体が警告を出していても、
素子の意思が行動を止めない。
機械の身体と本人の判断が、別に存在している場面になる。
食事についても、
義体化の程度で事情は変わる。
生身の消化器官が残っている者なら、
通常の食事を取ることができる。
全身義体の場合は、
身体の維持に必要な栄養やエネルギーが異なる。
作品ごとに描かれ方は違うが、
一般人と同じ食事を楽しめる義体もあれば、
専用の食品や補給が必要な場合もある。
『S.A.C.』では、
サイボーグ向けの食事や身体感覚に触れる場面もある。
酒を飲む。
食卓を囲む。
見た目だけなら、生身の人間と変わらない生活を送っている。
それでも内部では、
味覚情報を人工的に受け取っている可能性がある。
舌で味わっているのか。
電脳へ送られた信号を味として感じているのか。
義体では、その境界も曖昧になる。
眠りも同じになる。
身体が機械だから、
一切休まなくていいとは限らない。
脳や電脳には休息が必要になる。
情報を処理し続ければ、精神側へ負担が積み重なる。
義体化によって、
人間の日常が消えるわけではない。
触れる。
味わう。
休む。
痛みを感じる。
その一つ一つが人工的な信号を通じて続いている。
故障、乗っ取り、維持費があるため、義体は自由な身体とは限らない
義体の弱点として大きいのが、
自分だけでは身体を維持できないことになる。
人工筋肉が摩耗する。
関節が壊れる。
感覚器官へ不具合が出る。
そのたびに整備と部品交換が必要になる。
生身の傷なら、
時間をかけて治ることもある。
義体の破損は、
交換部品がなければ直らない。
製造企業や整備施設へ頼ることになる。
高性能な義体ほど費用もかかる。
公安9課のような組織に所属していれば、
任務用の義体や修理環境を用意してもらえる。
一般人が同じ性能を持てるわけではない。
事故で腕を失った人。
戦争で脚を失った兵士。
病気で内臓を換えた人。
義体が必要でも、望む性能を選べない者は多い。
安価な義体では、
動きが遅い。
感覚が鈍い。
耐久性が低い。
交換部品の供給が止まれば、使い続けられない。
企業が規格を変えれば、
古い義体が修理できなくなることも考えられる。
身体を機械へ換えた瞬間から、
本人は部品と整備の流通へ結び付けられる。
さらに電脳接続された義体には、
外部から乗っ取られる危険がある。
視覚を偽装される。
手足の制御を奪われる。
本人の意思に反して身体を動かされる可能性もある。
『S.A.C.』では、
義体や機械を遠隔操作する場面が何度も出てくる。
素子自身もデコットと呼ばれる遠隔義体を使い、
別の場所から身体を動かす。
遠隔操作できるということは、
接続経路へ侵入されれば、
他人から操作される可能性もあるということになる。
高性能な身体ほど、
ネットから完全に切り離して使うことは難しい。
電脳を閉じれば安全になる。
だが通信も情報共有も使えなくなる。
公安9課の任務では、
仲間との接続を失うこと自体が大きな危険になる。
便利さを取れば侵入される。
安全を取れば能力を制限される。
義体と電脳は、
常にその両方を抱えている。
身体を自由に交換できるように見えても、
実際には企業、国家、組織へ依存する。
誰が義体を所有しているのか。
退職した後も同じ身体を使えるのか。
任務用義体は本人のものなのか。
草薙素子の身体も、
完全に私物とは言い切れない。
公安9課の少佐として使う高性能義体。
その性能は組織の予算と技術に支えられている。
だから全身義体は、
生身から解放された自由な身体ではない。
老化や病気を越えられる可能性を持ちながら、
別の束縛へつながる身体でもある。
壊れれば交換できる。
だが交換する部品を誰が握っているのか。
強くなれる。
だがその強さを維持する費用を誰が払うのか。
『攻殻機動隊』の義体は、
夢の技術だけでは描かれない。
人間の可能性を広げながら、
身体さえ社会の仕組みに組み込まれていく怖さも映している。
第7章 義体が映す攻殻機動隊の世界観|身体を換えても人間なのか
身体が交換できる時代でも、本人まで交換できるわけではない
草薙素子の義体は、
壊れれば別の身体へ換えられる。
顔も体格も変えられる。
だが記憶や経験まで、簡単に別人へ変わるわけではない。
劇場版終盤で素子は、
大破した義体を失い、
少女型義体で目を覚ます。
外見は変わっても、バトーとの関係は続いている。
一方で、清掃員の男は、
存在しない妻と娘の記憶を信じていた。
身体が生身でも、
記憶を変えられれば人生そのものが崩れてしまう。
この二つの場面を比べると、
人間を決めるのは肉体だけではないと分かる。
だが脳や記憶だけでも、
完全な証明にはならない。
義体の内側にあるゴーストが、自分を選び続ける
『攻殻機動隊』では、
身体という殻の内側にある意識を、
ゴーストという言葉で表している。
素子は全身義体でも、
命令だけで動く機械ではない。
人形使いの言葉を聞き、
危険を承知で接続を選び、
それまでとは違う存在へ進んでいく。
タチコマもまた、
同じ機体と情報を共有しながら、
少しずつ個別の反応を見せる。
機械にもゴーストが生まれるのかという疑問が浮かぶ。
人形使いは、
最初から身体を持たない存在だった。
それでも自分を生命体と名乗り、
素子との融合を望んだ。
人間は義体へ近づく。
機械は意識へ近づく。
その境界が揺れるところに、
攻殻機動隊の世界観がある。
義体とは、
草薙素子を強くする装備だけではない。
身体を換えても、
自分は自分だと言えるのか。
その問いを抱えたまま進むからこそ、
全身サイボーグの草薙素子は、
ただ強いだけの主人公では終わらない。


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