『ロメリア戦記』のトマスは、魔大陸で奴隷として働きながら、ロメリアたちの潜入と脱出を支えた協力者。
アンリ王子の鎧を盗んだ行動は裏切りではなく、一行の身代わりとなって追手の警戒を解くためにつながっている。
妻ミシェルと娘セーラまで命を奪われた結末には、子供を利用して親の抵抗を封じる魔族の支配が重なる。
この先はトマス一家の最期までのネタバレあり。
第7章は原作Web版第五章までの展開に触れる。
第1章 トマスは裏切り者ではない―― 王子の鎧を着て身代わりになった協力者
| 人物 | 一行との関わり |
|---|---|
| トマス | 港で働く協力者。 王子の身代わりになる |
| ミシェル | トマスの妻。食料などを届ける |
| セーラ | 二人の娘。 ロメリアがパンを分ける |
盗まれたのは、アンリの剣と鎧だけ
助けてくれた人が、なぜ王子の鎧を盗んだのか。
トマスの行動は、盗難が分かった時と、
その直後で遺体が見つかった時とでは、
まるで違って見える。彼は魔族へ一行を
売り渡したのではなく、アンリの装備を身に着け、
侵入者が討たれたと思わせるための
身代わりになっている。
鎧がなくなった朝、一行の中には一家の裏切りを
疑う声が上がる。敵地で頼りにしていた協力者が消え、
武器まで持ち去られていれば、
怖くなるのも無理はない。けれど、原作Web版で
ロメリアが確かめるのは、何を盗まれ、
何が残っているか。なくなったのはアンリの剣と鎧だけで、
他の仲間の装備や魔王の首は残されている。
金品を奪って逃げるつもりなら、
アンリの装備だけを選ぶ必要はない。
一行を敵に引き渡すつもりなら、
隠れ家の周りへ兵を呼ぶ方法もある。
実際には、そのどちらとも違う状況が残っている。
ロメリアはすぐに一家を敵と決めず、
姿を隠して外へ出て、何が起きているかを確かめる。
通りで見つかるのは、
アンリの鎧を着けたトマスの遺体。
その装備は、魔王軍にも目撃されていた
目立つ品物になっている。
武具を売るための盗みではなく、
追われている王子と自分を重ねるための盗み。
その姿を前にして初めて、一行を逃がすという約束の中に、
彼自身が帰ってくる道が含まれていなかったことが分かる。
ロメリアが見つける不自然さは、
一家が良い人に見えたという印象だけではない。
売り渡されたにしては兵に囲まれず、
盗みにしては持ち去った品が限られている。
感謝していた相手を信じたい気持ちだけで動くのではなく、
目の前の食い違いを確かめている。
そのわずかな猶予によって、
裏切りという受け止め方が変わっていく。
逃がした人々の中に、本人と家族はいない
当時、一行は魔大陸から帰るための船に乗れず、
足止めされていた。侵入者を探す警戒が続く限り、
出港も再開しない。反対に、探している相手を討ったと
魔王軍が受け止めれば、
警戒を緩めるきっかけができる。
トマスは剣で追手を全員倒すのではなく、
追手が捜索を終える状況を作ろうとした。
ただ、見つかる遺体は一人分ではない。
妻のミシェルと幼い娘のセーラも、
同じ場所で命を失っている。
父親の勇敢な行動を知って胸を打たれた直後に、
それでは妻と娘はどうなったのかという問いが残る。
一行の脱出だけを成功として数えるには、
失われたものが大きすぎる。
トマスは、最後に一行を救うためだけに
突然現れた人でもない。港で働き、
隠れ家へ導き、外の情報を持ち帰るなど、
魔王討伐の前から一行を支えている。
鎧を盗んだ一件は、それまでの協力と
切り離された裏切りではなく、
帰還の道までつなごうとした行動の先にある。
本人が作戦の全容を語る長い告白はなく、
ロメリアは残された武具と街の状況から、
その狙いを読み取る。そのため、
魔法を誰が手配したのか、
夫婦でどんな言葉を交わしたのかまで細部は埋まらない。
確かに残るのは、三人の死によって
一行に脱出の機会が生まれたこと。
その機会を使う側に、三人はもう加われない。
トマスたちがいなくなった後で、
一行はその行動に助けられたと知る。
そこには、助ける側が事情を話し、
助けられる側が了承したというやり取りがない。
本人に相談できないまま、
残された人が命の重さを受け取ることになる。
逃げられた事実の中へ、
感謝だけでは抱えにくい後悔が最初から入り込んでいる。
第2章 トマスは何者? 騎士の家柄から、魔大陸で働く奴隷へ
港の労役を監督し、外の情報に触れていた
トマスは、魔王軍に祖国を滅ぼされ、
家族とともに魔大陸へ連れてこられた人間。
ロメリアたちと出会う時点では奴隷として働いている。
敵の土地で生まれ育った案内人でも、
魔王軍の手先が途中で寝返った人物でもない。
もともと自分たちの暮らしを奪われた側にいる。
原作では、彼が騎士の家柄に生まれたことも明かされる。
ただ、王族と近い血縁にあるとか、
特別な王家の秘密を抱えているといった素性までは示されない。
かつての家柄があっても、
現在の彼は労役に就き、
家族も同じ支配の下に置かれている。
身分の説明と、今ある自由の少なさが並んでいる。
仕事場は港。労役に就く人々を監督する立場でもあり、
多くの情報に触れる機会がある。
船の動きを知りたいロメリアたちにとって、
この働き場所は大きい。
港で働いている人の話と、
地下室に隠れたまま外を想像するだけの判断には差がある。
彼の帰宅を待つ時間そのものが、
一行には次の動きを決めるための待機になる。
一行を見つけたのもトマス。
荷物に紛れていた彼らを発見し、
隠れ家へ連れていった。
その時点で敵へ知らせることもできたはずなのに、
彼は隠す側へ回っている。
最後の鎧の一件以前から、
彼の行動には一行を捕らえさせないという向きが続いている。
ただし、港で人をまとめているからといって、
船を自由に動かせるわけではない。
荷を運ぶ仕事に触れることと、
魔法で動く船を操作することは別になる。
アンリが出港を何とかしてほしいと求めても、
トマスが船長のように号令をかければ済む状況にはない。
情報を得る立場でも、出港を決める権限は持っていない。
監督する立場という言葉も、
魔族から自由を認められていたということではない。
働く人を取りまとめる役目があっても、
自分たちの働き方や行き先を自由に選べるわけではない。
港の内側にいることで知れることが増える一方、
その港から家族を連れ出す許可は持たない。
トマスの情報の多さと、
逃げる手段の少なさは矛盾せずに並んでいる。
騎士の家柄でも、妻子を守る自由はない
日暮れに戻ってきたトマスは、
労役によってやつれている。
それでも、魔王討伐を確かめようとする顔には力が残っている。
アンリからゼルギスの首を見せられると、
彼は涙を流す。倒された相手は、
単に遠くの恐ろしい支配者ではなく、
自分たちの国と家族の生活を壊した側の頂点にいる。
この涙は、報酬を受け取って仕事を終えた
協力者の反応とは違う。
魔王が倒れることを待ってきた人の喜びが、
短い場面に表れている。
ロメリアたちを隠したことや、
情報を集めたことにも、
その願いが重なっていたと考えられる。
目の前の一行が持ち帰った首は、
トマスにとって失った暮らしの先に初めて見えた変化になる。
それなのに、討伐が済んだその夜も、
彼は奴隷のまま働いている。
娘の傷が消えることも、
家族がすぐ故郷へ戻れることもない。
魔王の死が現場の兵士や支配の仕組みに
行き渡るまでには隔たりがあり、
その間にも取り締まりは続く。
倒したという知らせだけでは、
彼の家族をその場から運び出せない。
騎士の家柄という紹介は、
彼の最期を説明する手掛かりにはなる。
ただ、それだけで騎士道に従って死を選んだと断定はできない。
彼がその血筋をどう受け止めていたかよりも、
一行を助けたこと、討伐を喜んだこと、
脱出の問題を引き受けたことが具体的に描かれる。
家柄の言葉より先に、
仕事と家族を背負って動く本人の姿がある。
魔王の首を見た涙から、
彼がこの一行に何を託していたかがうかがえる。
翌日を少し楽にするための取引に留まらず、
支配の続く暮らしそのものを
変えてほしいという期待があったのだろう。
ただし、それを自分の死を最初から
予定していた証拠にはできない。
討伐を喜んだ時のトマスと、
逃げ道を作るために鎧を持ち去るトマスの間には、
まだその夜の時間がある。
第3章 なぜロメリアたちを助けた? 討伐を支えた情報と隠れ家
剣を振るう一行にも、 隠れる場所と食料が要る
魔王を倒せるほどの一行でも、
知らない土地で最初から何でもできるわけではない。
原作では、潜入当初の彼らには地図も十分な情報もなく、
魔王がどこにいるかさえ分からなかったと振り返られる。
敵を見つける前に、身を隠し、食べ、
外の動きを知る必要がある。
その部分を支えたのが、
トマスたち現地の協力者になる。
隠れ家は家畜小屋の地下。
快適な宿ではなく、臭いもこもる薄暗い場所に
一行は身を寄せる。けれど、敵が探している時には、
居心地より見つからないことの方が切実になる。
剣を抜いて勝てる相手がいても、
街中で戦えば他の兵まで集まってくる。
安全に休める一室を用意することが、
戦う力を温存する助けにもなる。
食料を運んでくるミシェルとセーラも、
一家の協力に加わっている。
届けられるのはパンと水で、豪華な支援ではない。
むしろ、セーラ自身がお腹をすかせている様子から、
余っている物を気軽に分けているわけではないと伝わる。
逃げる一行の食事が、
協力者の家族の食事とつながっている。
情報も同じように欠かせない。
魔王の行動や居場所に関わる話を集める人がいなければ、
一行は敵地を歩き回りながら探さなければならない。
討伐を成し遂げた剣や魔法のそばには、
敵に知られないよう聞き集めた話がある。
トマス一家の助けは、
戦いが終わってからの後始末だけではなく、
戦いを始められる場所まで一行を運んでいる。
彼らの協力を、ロメリア個人への
恩返しだけで説明することはできない。
国を奪われた人々には、
魔王の支配を変えたいという切実な願いがある。
ロメリアがセーラに優しくしたから
初めて家族が味方になった、という順番でもない。
すでに危険を引き受けていた一家と、
その助けを受けるロメリアの間に、
小さなやり取りが積み重なっていく。
ミシェルたちが隠れ家へ入る時には、
足踏みの合図も使われる。
一行は物音に身構え、
協力者と分かって初めて緊張を緩める。
食料を届けるだけの訪問にも、
敵ではないと知らせる手順が必要になる。
戸を開けて普通に客を招く暮らしから遠い場所で、
一家は日々の仕事と一行への協力を並べて続けている。
セーラへ向けられた親切と、 協力者への無理な頼み
セーラが食べ物を見つめると、
ロメリアは自分のパンを分ける。
腕の傷には傷薬を塗り、
手元にある藁で玩具も作る。
大きな約束や褒美より先に、
今そこにいる子供の空腹や痛みへ手を伸ばしている。
一家を協力者という役目だけで見るのではなく、
食べたい、遊びたいという娘の暮らしまで
近くに感じる場面になる。
それと並んで、トマスには無理な頼みも集まる。
果物や香水、湯浴みのための湯などを求められ、
彼は実際に調達してくる。
普通の店へ自由に買いに行ける立場ではないため、
ロメリアはその危険と苦労を気にしている。
一行の側では小さな不満でも、
用意する側には罰を受ける危険が伴う。
ここでトマスがどの品をどこから手に入れたかまでは
細かく描かれない。
けれど、持ち帰った物の量や好みに不満を言われても、
彼は協力をやめない。
アンリたちへの個人的な好意だけでは説明しにくいほど、
討伐と帰還に願いをかけているように読める。
相手の振る舞いへの不満と、
魔王を倒した事実への期待は、別々に残り得る。
王子の鎧を盗んだと知った後、
一家は初めから信用できなかったと疑われる。
それまで食べ物を運び、
居場所を守ってきた時間が、
一度の盗難でひっくり返りそうになる。
その疑いが解けた時には、
もう本人へ確かめられない。
裏切りと受け取られた行動が、
実は最後まで一行を助けるためのものと分かる遅さがつらい。
パンを分ける場面では、
食料を持ってきたミシェルの方が謝る。
もともと一家の食べ物なのに、
娘が少し分けてもらう形になっている。
その小さな逆転に、助けを受ける一行と
奴隷にされた家族の間の距離が表れる。
ロメリアはセーラへ半分を渡し、
その場の空腹に手を添えるが、
家族の置かれた立場まですぐに変えられるわけではない。
第4章 なぜアンリ王子の剣と鎧を盗んだ? 脱出を阻んでいた厳戒態勢
| 街で起きたこと | 一行への影響 |
|---|---|
| 侵入者の捜索 | 警戒が続き、船が出ない |
| 王子の鎧を着た遺体 | 侵入者を討ったと見せかける |
| 魔導船の出港 | 一行は貨物に紛れて脱出する |
船を動かせなくても、 出港を止めている捜索は変えられる
トマスの狙いを考える時、
まず引っ掛かるのが、
なぜ剣や鎧を持って逃げるだけで船が出るのかという点。
一行が帰れない直接の障害は、
海そのものに加え、侵入者を探す厳戒態勢にある。
船へ近づく前に、街や港が警戒している。
出港を再開させるには、
その捜索に区切りを付ける必要があった。
魔大陸と故郷の大陸の間には、
普通の帆船では越えられないほど厳しい海がある。
目の前の浜辺から小舟を出せば逃げ切れる土地ではない。
一行が使おうとしていたのは、
魔法で動く魔導船への密航。
敵が運航する船に紛れなければならないため、
魔王軍の港が動き出すのを待つほかない。
アンリから船を何とかできないかと頼まれた時、
トマスは引き受ける。
それを、彼が魔導船を操縦できるという説明に
置き換えることはできない。
港の労役に就く彼が変えようとしたのは、
船の仕組みではなく、船を止めている街の状況。
操作する権限がなくても、
捜索が終わるきっかけを作れれば、
帰還の可能性は開ける。
原作では、討伐した魔王の死が
どこまで公表されているかも、
ロメリアには見通せない。
街の警戒が今後緩むのか、
逆に大きな捜索になるのかも分からない。
待っていればいつか安全になるという保証がない中で、
トマスは翌朝までに何とかすると約束する。
その短い期限の中へ、
自分を差し出す行動を押し込んでしまう。
海を越える手段が敵の船しかないため、
脱出は一行の強さだけでは決まらない。
港で大きく暴れて船を奪えても、
操縦できなければ帰れないし、
出港を止める騒ぎになれば密航もできない。
剣と魔法を使える人数がそろっているのに、
隠れて待つしかない。
この行き詰まりの中で、
港の事情を知るトマスの約束が、
現実の逃げ道として受け止められる。
目撃されていた派手な鎧が、 王子の代わりになる
アンリの鎧は、すでに魔王軍に目撃されている。
派手で見分けが付きやすいことが、
身代わりの手掛かりになる。
トマスが自分の普段の服装のまま捕まっても、
探している侵入者を討ったとは
受け止められないかもしれない。
王子の物と分かる装備を着けるから、
追う側の記憶と目の前の遺体が結び付く。
盗まれた剣も鎧と一緒に身に着けられている。
値の張る武具を換金し、
家族を連れて遠くへ逃げるためなら、
人目に付く場所でその姿を見せる必要はない。
彼の行動は、装備の価値をお金へ換える方向ではなく、
その持ち主を連想させる方向へ向かっている。
誰が着ていた品物なのかが、
脱出の仕掛けに関わってくる。
一行には、自分たちが起きていれば
止められたかもしれないという痛みも残る。
朝には全員が魔法で眠らされたと知らされるが、
トマスが魔法を自力で使えたとまでは示されない。
眠っていた間に何が起きたかを
すべて見届けている人もいない。
少なくとも、彼は一行に説明して同意を待つ形ではなく、
武具を持ち去って先へ動いている。
本人のいないところで鎧の意図が分かるため、
ロメリアには取り消しを求める機会が残らない。
囮になるなと頼むことも、
別の方法を一緒に探すこともできない。
盗まれたと騒ぐ時間の裏で、
トマスの行動はすでに最期まで進んでいた。
仕掛けが分かった時には、
その仕掛けを止める相手がもういない。
結果として一行は魔導船に紛れ、
出港によって魔大陸から離れる。
トマスが船を動かしたのではなく、
船が動き出せる状況を命と引き換えに作った。
その違いが、港の仕事をしていたという紹介にもつながる。
彼の持つ情報は、逃げ道がどこにあるかだけでなく、
その逃げ道がなぜ閉ざされているかにも
及んでいたと考えられる。
また、魔王の首は盗まれていない。
これは討伐の証拠を一行が持ち帰れる状態を
残す行動にもなっている。
単に王子の姿をまねるだけなら、
首まで持ち去る方が追手を信じ込ませやすいと
考える余地もある。
それでも首を残したという事実には、
逃げた先で一行が果たそうとしていた役目を
奪わない向きがある。
どこまで計算していたかは明言されないが、
持ち去った物だけでなく、
残した物にも行動の輪郭が表れる。
第5章 なぜ妻と娘まで殺された? 家族を巻き込む魔族の支配
セーラの傷に表れていた、 親子を縛る仕組み
トマスが身代わりになったとしても、
ミシェルとセーラまで亡くなる必要があったのか。
父親の行動を理解した後ほど、ここは引っ掛かる。
原作では、魔王暗殺に関わった者の家族も
処罰されるとロメリアが考える。
本人だけの罪として区切らず、
妻子へも危険が及ぶ支配の下に一家はいる。
その仕組みは、遺体が現れる前から
セーラの体に残っている。
ロメリアが見つけるのは、小さな腕の鞭の痕。
大人が反抗した時、
魔族は働き手の本人ではなく、その子供を打つ。
親が痛みに耐えれば済む状況にせず、
自分の行動が娘の傷になるようにして、
抵抗を封じている。
幼い子供を持つ夫婦が連れてこられることにも、
この支配が重なる。
今すぐ多くの荷を運べない子供でも、
親を従わせるために利用される。
セーラが奴隷の子としてそこにいることは、
単に母親のそばに付いてきたという話ではない。
家族という結び付きそのものを、
相手が弱みとして握っている。
だから、トマスだけが王子の格好をして死ねば、
残る母娘は安全に暮らせた、とは考えにくい。
侵入者とのつながりが疑われれば、
妻子にも処罰が及ぶ。
ロメリアは、一家が別々に捕らえられて拷問されるよりも、
共に行動して同じ最期を迎えたと受け止める。
そこには、家族を残せば助かるという逃げ道さえ
見つけにくい状況がある。
娘を守りたい気持ちを利用して親を縛るため、
抵抗しなければ一家が幸せに暮らせるという
選択にもならない。
セーラにはすでに傷があり、家族には自由がない。
何もせず従っていれば安全、
戦おうとしたから不幸になった、
という分け方では、
三人が協力する前から受けていた被害が
抜け落ちてしまう。
家族が一緒にいた最期を、 美しい覚悟だけでは語れない
ただ、三人が最後にどんな相談をしたのかは描かれない。
ミシェルが夫の考えをどこまで知っていたか、
セーラが何を理解していたかも、
言葉としては残らない。
父親が決めたから妻も娘も同じ願いで死を選んだ、
と家族全員の内心を一つにすることはできない。
とりわけ幼いセーラへ、
大人と同じ覚悟を当てはめるのは難しい。
最後の夜、ロメリアが見るのは、
決意を感じさせるトマスと、
優しく微笑むミシェル、無邪気に笑うセーラ。
それぞれ違う表情が並んでいる。
翌朝に最期を知ったロメリアは、
その夜の父親の顔を思い返して、
自分はなぜ気付けなかったのかと悔やむ。
あの笑顔まで、
後から別れの前の記憶に変わってしまう。
一家の遺体は、最初から三人が並んだ姿として
見えるわけではない。
鎧を着た人物を覆う布がずれ、
女性の顔と子供の手が現れる。
トマスの行動が分かったところへ、
妻と娘の存在が重なる。
あの二人は逃げたのかという、
わずかな期待を残す間もなく、
一家全員が戻らないことを知らされる。
三人の死が一行の脱出に役立ったからといって、
娘の命まで差し出してよかったとはならない。
責める先を一家の覚悟へ移すよりも、
暗殺に関わった者の家族まで殺し、
子供を罰の道具にする側の加害がある。
身代わりの作戦は、
その支配から自由に選べる状況で
立てられたものではない。
トマス一家には、
助けた後で感謝を受け取る時間がない。
ミシェルが運んだ食料も、
セーラが喜んだ玩具も、
家族がこの先も暮らす中で続くやり取りにはならない。
勇敢な犠牲という言葉だけでは、
そうした続きが消えてしまう。
三人が同じ場所にいる最期は、
家族の結び付きと同時に、
家族ごと逃がさない支配の怖さを残している。
ミシェルも、最後にトマスのそばにいた妻
というだけではない。
隠れ家へ食料を運び、港の状況について伝え、
娘と一緒に危険な訪問をしてきた。
父親が考えた作戦だけに話を絞ると、
彼女がその前から支えていた時間が薄くなる。
一家の死というひとまとめの結末の中にも、
三人それぞれがロメリアと交わした場面が残っている。
第6章 ロメリアはなぜ助けられなかった? 遺体を前に迫られた脱出
死を知った時には遅く、 街では別の人々まで捕らわれる
ロメリアがトマスの狙いに気付くのは、
彼が鎧を着て立っている時ではなく、
遺体として運ばれる時。
目の前の傷を治せば助かるという場面は、
すでに過ぎている。
聖女のいる一行なのに助けられなかったのかと感じても、
ここで描かれるのは生きている一家への救命ではない。
しかも、街の危険は三人の死だけで止まらない。
魔王軍が人間たちを次々と捕らえ、
女性や子供も鞭で打たれる。
トマスが身代わりになったから
街の人全員が解放されるわけではなく、
一行への捜索が終わることと、
奴隷への取り締まりは別に動く。
帰る機会が生まれるすぐそばで、
別の人々が助けを必要としている。
ここでアンリは、
捕らえられる人々を助けようとする。
序盤の彼の横柄な振る舞いだけを思い浮かべると
意外に見えるが、この場では被害を目にして憤っている。
一方、止める側へ回るのはロメリア。
トマス一家の犠牲を知っている彼女が、
さらに人を置いて去る判断をするため、
簡単にどちらかだけを冷たい人と決められない。
数人の兵を倒すことはできても、
街中の敵をすべて倒せるわけではない。
ここで騒ぎを起こせば、
逃したはずの侵入者が生きていると知られ、
再び港が閉じる可能性がある。
トマスの作った隙は、
一行が戦い直しても残り続けるものではない。
助けに出る行動が、
そのまま脱出の機会を失う危険にもつながっている。
ロメリアは、魔王を倒した知らせを
国へ届けることを優先する。
まだ戦っている魔王軍へその死を知らせ、
人間側が反撃する手掛かりにしたい。
これは、すでに大陸全体が救われたという判断ではない。
討伐の知らせを運び帰る先に、
さらに多くの人を助ける可能性を見て、
その場の救出を諦めている。
捕らえられた人々についても、
その場で全員の死亡が確認されるわけではない。
ロメリアが恐れているのは処刑や、
さらに厳しくなる扱いの可能性。
助けに入るかどうかを決める時点では、
先の結果も確定していない。
すでに失った三人と、
これから命を奪われるかもしれない人々が同時に目に入り、
彼女は見通せない部分を抱えたまま判断を迫られる。
アンリを止めたロメリアにも、後悔は残る
その判断は、
一行の中で好意的に受け止められない。
今ここで苦しんでいる人を助けない彼女は、
冷たく見られる。
それでも彼女は歩みを変えず、船へ向かう。
先にある救いを考えていることは、
目の前で見捨てられる人の痛みを小さくしない。
そのため、説明が付いても後味のよさにはつながらない。
トマス一家が命を落とす前なら、
なぜ一緒に逃げる相談ができなかったのかという疑問も残る。
けれど、その場に一家全員が安全に乗れる船や、
確実な別の出口が用意されていた描写はない。
容易に救えたはずという答えも、
絶対に救えなかったという答えも、
見えている状況だけで言い切るのは難しい。
ロメリア自身には、
気付けなかったという悔いが残る。
船が出た後も、
彼女は遠ざかる魔大陸を見続ける。
安全な場所へ近づいたからといって、
そこに置いてきた人々から
気持ちまで離れたわけではない。
握った手に傷ができるほど力を込め、
いつか戻って救うと誓う。
トマスの死を知った時の無力さが、
帰還によって片付かない姿になっている。
ただ、その誓いが三人の蘇生につながるわけではない。
戻ると約束しても、
すでに亡くなった一家に
食べ物や玩具を返す日は来ない。
まだ残っている人を救う決意と、
助けられなかった家族への後悔は、
一緒に続いていく。
次の行動を選べたことと、
過去に答えを出せたことは同じにならない。
この場でアンリが助けたいと願うことも、
ロメリアが逃げることを優先することも、
一家の死をなかったことにはできない。
どちらの行動を選んでも、
三人へ戻せる時間はない。
帰還を選んだ彼女が冷静に説明しているために、
平気で立ち去ったようにも映るが、
船から陸を見続ける姿には、
その判断を済んだことにできない苦しさが残っている。
第7章 トマス一家はその後も登場する? ロメリアの中に残る三人
この先は原作Web版第五章までのネタバレあり。
原作後半、生死の境で再び出会う家族
トマス一家は、序盤で死んで以降、
完全に忘れられた人物にはならない。
原作Web版の第五章には、
重傷のロメリアが、
亡くなった人々と再会するような場面がある。
そこで三人も姿を見せる。
生存していた一家がどこかで暮らしていたと
判明する展開ではなく、
ロメリアが現実と異なる場所に立つ時の出会いになる。
周囲には、彼女の指揮の下で
戦死した兵士たちもいる。
ロメリアはその顔を見て、
自分も死んだと考える。
自分が人を戦いへ送り出してきたことを思い、
彼らと同じ行き先には進めないと受け止める。
その道の途中に、
戦場で部下になった人々とは別の、
最初に自分たちを逃がしてくれた家族がいる。
トマスの隣にはミシェルが寄り添い、
足元には玩具を持つセーラが立っている。
セーラはロメリアへ駆け寄り、
その胸へ飛び込む。
序盤でパンを分け、
傷薬を塗った幼い子供が、
ここでも幼い姿で目の前に現れる。
一家の死から先へ進んできた
ロメリアの時間と、変わらない少女の姿が重なる。
ここでロメリアが考えるのは、
三人の犠牲に見合う何かを成せたのかという問い。
これまでの戦果を並べて、
自分は十分に返したと結論することはない。
人を助けるために動き続けても、
三人本人へ返せていないという痛みがある。
帰国して軍を作った事実だけで、
魔大陸に置いてきた家族のことが解けたわけではない。
抱き上げたセーラには温かさがあり、
笑顔もある。遺体を前に目をそらした時には
確かめ直せなかった、
子供の生きた感触が戻るような描写になっている。
けれど、現実で別れをやり直せる場面ではない。
だからこそ、その場では少女を抱きしめられることと、
目を覚ませば三人がいないことの距離が大きい。
セーラが持つ藁の人形も、
短い交流を思い出させる。
地下室には花がなく、
ロメリアが作れたのは、
手元の藁を使った素朴な玩具。
その場でできることを探した小さな贈り物が、
後の再会でも少女のそばにある。
国や軍の大きな話とは別に、
子供へ何かを作って渡した記憶が残っている。
帰還できた一行の側には何年もの出来事が増えていても、
一家の姿には、あの隠れ家で過ごした時間が重なる。
トマスたちは責めず、 ロメリアだけを送り出す
トマスは頷き、ミシェルは微笑む。
セーラも別れ際に手を振る。
そこに、どうして助けなかったのかと責める言葉はない。
ロメリアが自分に向ける厳しい問いと、
一家が見せる穏やかな反応には隔たりがある。
許されたと一言で片付けるよりも、
責められるつもりの彼女に、
違う表情が返ってくる場面として胸に残る。
この再会でも、三人は逃がしてくれた家族として、
彼女の前に立っている。
やがて彼女は、その光景から離れ、
治療を受けた天幕で目を覚ます。
三人が一緒に生きている世界へ戻るわけではなく、
戻るのはロメリア一人。
夢なのか、死後の世界に触れたのかは、
本人にもはっきり決められない。
少なくとも、ここで一家の死亡が取り消されることはなく、
生き残った彼女の時間が再び始まる。
再会の場面があることで、
トマスの行動は、
脱出に成功した時点で用済みになる助けでは終わっていない。
ロメリアが死を身近に感じた時、
出会う相手の中へ、家族三人の顔が入っている。
魔王を倒した直後の短い出会いでも、
彼女がその先に進んだ人生から切り離されていない。
トマスは、アンリの剣と鎧を盗んだ裏切り者ではなく、
一行の帰還を命と引き換えにつないだ協力者になる。
その最期には、妻子まで罰する魔族の支配と、
一家を救えなかったロメリアの後悔が重なる。
目立つ鎧の下にいたのは、
家族の食料を分け、港で働き、
討伐を聞いて涙を流した一人の父親。
その姿が分かった時には、
もう感謝を伝えられる相手はいない。
三人は、ロメリアが差し出した成果を
採点するために現れるわけでもない。
どれだけ戦いに勝ったか、
どれほど人を助けたかという報告を求める言葉はない。
自分の生き方を彼らの犠牲と引き比べているのは、
まずロメリア自身。
その彼女へ頷きや笑顔が返るため、
責任を問い続ける自分と、
記憶の中の一家の姿が静かにずれる。


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