ターニャの目的は帝国の英雄になることではなく、自分と部下が生き残り、安全な場所で戦争の続きを見なくて済む生活へ戻ること。
『幼女戦記Ⅱ』第7話では、前線で戦争の代価を知るターニャほど終結を求め、安全な後方ほど「帝国はまだ勝てる」と勝利へ執着する逆転が起きている。
「ターニャはなぜ戦う?」を辿ると、戦争が好きだから勝とうとするのではなく、戦場から生きて帰るために目の前の戦闘だけは徹底して勝とうとする人物だと見えてくる。
第1章 結論|ターニャが欲しいのは「帝国の完全勝利」ではなく、生き残れる形での戦争終結
ターニャの目的は最初から英雄になることではなく、安全な場所で生き延びること
ターニャ・デグレチャフは、
帝国軍の中でも突出した戦果を挙げ続けている。
戦場では容赦なく敵を叩き、
危険な任務でも冷静に最適解を選び続ける。
その姿だけを見ると、帝国の勝利を誰より強く望む軍人にも見える。
しかしターニャが本当に欲しがっているものは、
帝国の完全勝利そのものではない。
自分が生き残り、
安全な後方で安定した生活を手に入れ、
二度と死地へ放り込まれずに済む状態を望んでいる。
だからターニャにとって、
戦争が長引くことには何の利点もない。
帝国が勝っても、
その勝利のために次の戦場へ送られ続けるなら、
本人にとっては決して望ましい結末ではない。
むしろ重要なのは、
どの形であれ戦争が終わり、
これ以上自分と部下が消耗しないこと。
戦勝国の英雄として名を残すことより、
無事に後方へ戻れる未来の方がはるかに価値が高い。
この考え方は、
第2期第7話になって急に生まれたものではない。
第1期からターニャは一貫して、
危険な前線から遠ざかることを望んできた。
戦果を挙げるのも、出世を目指すのも、
最終的には安全な位置を手に入れるためだった。
ところが皮肉なことに、
ターニャは任務を完璧にこなすほど評価される。
評価されれば、
より難しく、
より危険で、
より重要な戦場へ送り込まれてしまう。
「有能なら後方へ行ける」と考えて働く。
しかし実際には、
「有能だから最前線へ送られる」。
この矛盾にターニャは何度も苦しめられてきた。
だから彼女は戦争を嫌っていても、
目の前の戦闘では決して手を抜かない。
戦場へ出てしまった以上、
敗北すれば自分が死ぬ。
部下も死ぬ。
生き残るには、その場では徹底的に勝たなければならない。
ターニャの中では、
「戦争を終わらせたい」と、
「目の前の戦いでは勝ちたい」は矛盾していない。
戦争全体を長引かせたいわけではなく、
今いる戦場から生きて帰るために戦闘では勝とうとしている。
この違いが、
第7話で後方に戻った時にはっきり表面へ出る。
前線で何度も死線を越えてきたターニャほど、
戦争を続けることの代価を知っている。
一方で安全な場所にいる人々ほど、
「まだ帝国は勝てる」と勝利へ希望をつなぎ続けていた。
勝利を嫌っているのではなく、「勝利そのもの」を目的にしていない
ターニャは帝国が負ければいいと思っているわけではない。
敵国が勝利し、
帝国が崩壊することを願っているわけでもない。
自分が帝国軍人である以上、
帝国が有利な形で戦争を終える方が当然都合は良い。
ただし、
そのために無期限で戦い続けることには賛同できない。
勝利のために兵士を消耗し、
物資を失い、
次々と新しい戦線を抱え込むなら、
最終的に帝国そのものが持たなくなる。
ターニャは前線にいるからこそ、
「まだ戦える」という言葉の重さを知っている。
一回の攻勢にも兵士が必要。
魔導師が必要。
弾薬が必要。
補給が必要。
そして失敗すれば、その全てが一度に失われる。
地図の上では一本の戦線でも、
そこには実際に寒さや空腹に耐え、
砲撃を受け、
敵魔導師と命を削り合う兵士がいる。
ターニャ自身が何度もその中心へ送られてきたから、
数字だけでは見えない消耗を知っている。
そのため彼女にとって、
「勝利」という言葉は軽くない。
勝てば全てが解決するという単純な響きではなく、
そこへ届くまでに何人が死ぬのか、
何個部隊が壊れるのかまで一緒に見えてしまう。
ターニャは合理主義者だから、
勝利の価値だけでなく、
そこへ支払う費用も見る。
得られる成果より犠牲の方が大きければ、
その勝利は合理的ではない。
戦争を続けること自体が損失になるなら、終わらせた方が良い。
だから第7話で彼女が驚いたのは、
帝国軍人たちが勇敢だったからではない。
前線で疲弊している側より、
比較的安全な後方にいる人間の方が、
なお強く「勝たなければならない」と考えていたことだった。
ターニャが求めているのは、
華々しい戦勝ではなく、
生き残れる形での決着。
それが帝国にとっても、
自分自身にとっても、
もっとも現実的な出口になると考えている。
第2章 第7話でターニャは何を見た?前線より後方の方が「勝利」に執着していた
ソルディムを守り切っても戦争は終わらず、アンドロメダ計画まで頓挫する
第7話でターニャが帝都へ戻るまでには、
すでに前線で相当な消耗を経験している。
ソルディムを巡る戦いでも、
ターニャたちは文字通り死力を尽くして戦ってきた。
一つの拠点を守るためだけでも、
部隊には大きな負担が掛かる。
敵は待ってくれない。
兵士は疲労する。
魔力にも限界がある。
補給が途絶えれば、
いくら優秀な部隊でも戦えなくなる。
前線にいる者ほど、戦争には物理的な限界があることを知っている。
それでもターニャは、
命令された以上はソルディムを守ろうとする。
部下を動かし、
状況を読み、
敵の攻撃を受けながら、
少しでも有利な形で戦闘を終わらせようとする。
しかし一つの戦場で成果を挙げても、
戦争全体が終わるとは限らない。
ソルディムを死守した先で待っていたのは、
大戦を終結へ近づけるはずだったアンドロメダ計画の頓挫だった。
ここがターニャにとって重い。
目の前の任務を成功させても、
戦争を終わらせる大きな道筋が失われれば、
また次の戦場が待っている。
勝利しても、終戦へ近づかなければ意味が薄い。
ターニャにとって戦争は、
一戦ずつ勝敗を競う競技ではない。
自分が生き残り、
軍務から安全な位置へ戻れるまで続く、
極めて危険な現実そのもの。
だからアンドロメダ計画が崩れた後、
ターニャが見る世界は決して明るくない。
帝国軍がまだ戦えるかどうかではなく、
「いつまでこの状態を続けるつもりなのか」という問題が大きくなってくる。
そして休暇を兼ねて帝都へ戻った時、
ターニャは前線とはまったく違う空気に触れる。
そこで彼女を驚かせたのが、
後方にいる人々の勝利への執着だった。
死ぬほど戦ったターニャより、安全な後方の人間の方が「まだ勝てる」と考えていた
帝都は前線とは違う。
砲撃が降り注ぐわけではなく、
目の前で仲間が倒れていく場所でもない。
少なくともソルディムのように、
今日を生き残れるかどうかを直接問われる環境ではない。
そんな後方へ戻ったターニャが知るのが、
帝国がなお勝利を求め続けている現実。
戦争は厳しい。
各地で戦線が広がっている。
それでも「まだ勝てる」「勝利しなければならない」という考えが消えていない。
ここで立場が逆転する。
普通なら、
最前線で敵を倒し続けるターニャの方が好戦的に見える。
反対に、
後方にいる人間の方が冷静に戦争の終わりを考えていそうにも見える。
実際には逆だった。
前線で何度も死にかけてきたターニャほど、
戦争を続ける危険を理解している。
後方にいる人々ほど、
勝利という言葉をまだ現実的な目標として信じ続けている。
ターニャからすれば、
「まだ勝てる」という言葉だけでは足りない。
何をもって勝利とするのか。
そのために何個師団を失うのか。
どれほど補給を消費するのか。
その先に本当に戦争が終わるのか。
前線では、
一つの命令の裏に必ず犠牲がある。
攻撃するなら誰かが前へ出る。
防衛するなら誰かがその場に残る。
撤退が遅れれば、
最後尾の部隊が敵を引き受けることになる。
ターニャはその現実を、
机上の報告書ではなく、
自分自身の身体で知っている。
だから彼女にとって、
勝利は精神論だけで語れるものではない。
一方で後方にいるほど、
戦争は地図や報告書の中で見えやすくなる。
どこを取った。
どこを守った。
敵にどれほど損害を与えた。
その数字だけを見れば、
「もう少し戦えば勝てる」と考える余地も生まれる。
しかし前線では、
その「もう少し」が最も重い。
あと一戦。
あと一都市。
あと一度の大攻勢。
そのたびに兵士は減り、
使える部隊も減っていく。
ターニャが第7話で驚愕したのは、
帝国に愛国心が残っていたからではない。
現場の疲弊を知る自分より、
戦場から遠い人々の方が、
なお強く勝利へ執着していたことだった。
そこには、
ターニャと帝国後方の間に生まれた大きな温度差がある。
ターニャは「どうすれば終われるか」を見る。
後方は「どうすれば勝てるか」を見る。
同じ帝国側にいながら、
戦争を見る方向がすでに違っている。
だから第7話のターニャは、
弱気になったわけでも、
帝国への忠誠を捨てたわけでもない。
前線を経験しすぎたことで、
勝利より先に「終戦」を考えるようになっている。
帝国軍人として勝利を重ねながら、
心の中では一刻も早く戦争から降りたい。
その矛盾こそ、
ターニャという人物を最初から動かし続けてきたものだった。
第3章 ターニャは昔から戦いたくなかった|第1期から続く「安全な後方勤務」への執念
第1期第3話で念願の後方勤務を得て、本気で喜んでいた
ターニャは最初から、
戦場で名を上げたい人物ではなかった。
勲章を増やしたいわけでも、
敵国を滅ぼして英雄になりたいわけでもない。
むしろ彼女が欲しがっていたのは、
危険な前線から離れた安全な勤務先だった。
第1期第3話では、
これまでの戦功を評価されたターニャが、
帝都の戦技教導隊へ配属される。
前線ではなく後方。
しかも帝都という安全圏に近い場所だった。
この辞令を受けたターニャは、
ようやく念願が叶ったと内心で喜ぶ。
これまで死と隣り合わせの任務をこなし、
成果を上げてきたのだから、
今度こそ安全な場所へ移れると考えた。
ターニャにとって昇進とは、
名誉を得るための階段ではない。
階級を上げ、
価値の高い人材になれば、
危険な使い捨て要員から遠ざかれる。
それが彼女なりの人生設計だった。
ところが帝都で待っていたのは、
穏やかな事務仕事ではない。
新型演算宝珠の実験という、
別方向で命を削る危険な任務だった。
安全を求めて後方へ来たはずなのに、
そこでも存在Xとの因縁を含む異常な状況へ巻き込まれていく。
この時点ですでに、
ターニャの人生には大きな皮肉が生まれている。
危険を避けるために優秀な成果を出す。
すると軍から「さらに重要な仕事を任せられる人材」と評価される。
評価が上がるほど、より危険な任務が回ってくる。
本人が欲しいのは安全。
軍が見ているのは実績。
ターニャが成果を積み上げるほど、
この二つの距離は広がっていく。
有能さを証明するたびに「安全」ではなく「次の死地」が待っている
その後のターニャを見ても、
この流れは何度も繰り返される。
軍大学へ進み、
優秀な成績を残し、
参謀本部からも高く評価される。
普通なら出世と安全が近づいているように見える。
しかし実際には、
戦争が激化するほどターニャの能力が必要とされる。
危険な戦線。
突破が難しい作戦。
失敗できない任務。
そうした場所へ送られるのは、
結局いつも「成功する可能性が高い人間」になる。
第1期では、
ライン戦線をはじめとする各地で戦い、
第二〇三航空魔導大隊を率いることになる。
これは軍人として見れば大抜擢。
だがターニャからすれば、
自分が最も避けたかった前線勤務が固定化されたことでもある。
しかも部下たちは、
ターニャを頼れる指揮官として見る。
上層部は、
ターニャなら無理な命令でも達成できると考える。
本人だけが、
「どうして安全な場所へ行けないのか」と頭を抱え続ける。
戦果を挙げれば、
その戦果が次の任務を呼ぶ。
敵部隊を撃破すれば、
さらに強い敵を相手にさせられる。
作戦を成功させれば、
次も難しい作戦を任される。
ターニャにとって、
勝利はゴールにならない。
むしろ次の戦場への推薦状になってしまう。
ここが彼女が「勝利そのもの」を喜べない大きな部分になる。
劇場版でも、
南方大陸で共和国軍残党との戦いを終えた後、
ようやく本国へ戻れるかと思われた。
しかしそこで待っていたのは、
連邦国境へ向かう新たな命令だった。
勝った。
生き残った。
任務も果たした。
それでも休めない。
その繰り返しを経験してきたターニャにとって、
「次も勝てばいい」という考えは簡単には受け入れられない。
だから第2期第7話で、
帝都の後方がなお勝利へ執着していることに驚くのも自然になる。
ターニャはすでに、
勝利しても戦争が終わらなければ意味がないことを、
自分の人生で何度も経験してきた。
勝利を重ねるほど、
軍から必要とされる。
必要とされるほど、
前線から離れられない。
ターニャにとって本当に欲しいものは、
戦果ではなく「もう戦わなくていい」という結果だった。
第4章 なぜターニャは戦争を嫌うのに、戦場では誰よりも苛烈に戦う?
戦争全体は終わってほしいが、目の前の戦闘で負ければ自分と部下が死ぬ
ターニャの言動を見ていると、
一見すると大きな矛盾があるように見える。
戦争は長引いてほしくない。
できれば後方へ行きたい。
それなのに戦場へ出れば、
敵へ容赦のない攻撃を仕掛ける。
しかしターニャの中では、
この二つは矛盾していない。
戦争全体を続けたいかどうかと、
目の前の戦闘で勝つ必要があるかどうかは、
まったく別の問題だからだ。
戦争そのものは嫌でも、
戦場に放り込まれた時点で、
負ければ命を失う可能性が高い。
敵が攻撃してくる以上、
「自分は戦争が嫌いだから」と手を抜くことはできない。
むしろ中途半端な戦い方ほど危険になる。
敵を十分に叩けなければ、
反撃を受ける。
撤退の判断が遅れれば、
部隊全体が包囲される。
指揮官が迷えば、その数秒が部下の死につながる。
だからターニャは、
戦闘が始まった瞬間から徹底的に合理的になる。
敵の位置。
戦力差。
高度。
魔力。
地形。
撤退路。
使える情報を可能な限り計算し、
生存率の高い選択を取る。
そこに情緒的な「敵が憎いから倒す」はほとんどない。
敵が邪魔だから排除する。
敵が攻撃してくるから先に叩く。
そうしなければ自分と部下が死ぬから戦う。
ターニャが苛烈なのは、
戦争を愛しているからではない。
戦場という環境そのものが、
半端な優しさを許さないと理解しているからになる。
部下を生き残らせるためにも、勝てる戦闘は徹底して勝ち切ろうとする
ターニャが重視しているのは、
自分自身の生存だけではない。
第二〇三航空魔導大隊を率いるようになってからは、
部下を無駄に失わないことも大きな判断基準になっている。
部下が減れば、
次の作戦で使える戦力が落ちる。
戦力が落ちれば、
自分自身の生存率も下がる。
だから部下を守ることは、
感情だけでなく合理性の面でも重要になる。
そのためターニャは、
無意味な英雄行為を好まない。
勝ち目の薄い突撃。
精神論だけの死守。
成果に比べて犠牲が大きすぎる作戦。
そうした命令には強い警戒を見せる。
ただし、
戦う必要があると判断すれば一気に切り替わる。
中途半端に敵へ損害を与えて終われば、
後から追撃される可能性がある。
ならば最初の機会に、
敵が反撃できないところまで叩く。
ここでもターニャが求めているのは、
戦闘そのものの快感ではない。
戦闘時間を短くし、
自軍の損失を減らし、
確実に帰還すること。
そのためには強烈な攻撃も選択肢になる。
だから「ターニャはなぜ戦う?」への答えは、
帝国への忠誠だけでは説明できない。
自分が生き残るため。
部下を生き残らせるため。
そして一つ一つの戦闘を、
次の危険へ持ち越さないために戦っている。
この考え方は、
前線を知らない人間の「勝ち続ければいい」とはかなり違う。
ターニャにとって一勝ごとに、
魔力の消耗があり、
負傷者が出る可能性があり、
補給の問題が生まれる。
だからこそ彼女は、
戦術的な勝利と、
戦争全体の勝利を分けて考える。
目の前の戦闘には勝たなければならない。
しかし戦争そのものは、
できるだけ早く終わった方がいい。
この二つを同時に持っているから、
ターニャは敵から見れば恐ろしい軍人になる。
戦争を望んでいないのに、
戦場では誰よりも冷徹に動く。
平和を欲しがっているのに、
必要なら敵へ最大限の火力を叩き込む。
第7話で後方の勝利願望に驚いたのも、
その延長にある。
ターニャは戦えば勝つ。
しかし勝った後にまた次の戦場が来ることも知っている。
だから欲しいのは、
「次も勝て」という命令ではない。
勝った先に終戦があり、
自分と部下がもう戦わなくて済むこと。
それこそが、
ターニャが本当に求めている出口になる。
第5章 劇場版でも変わらない|勝って帰ろうとするほど次の戦場へ送られる
南方大陸で勝利しても、ターニャたちを待っていたのは凱旋休暇ではなかった
ターニャが「勝てば終わる」と簡単に考えられないのは、
劇場版までの経験を見てもよく分かる。
統一暦1926年、
第二〇三航空魔導大隊は南方大陸で共和国軍残党との戦役を制している。
大きな戦果を挙げ、
本国へ戻れば今度こそ休めると期待していた。
ターニャにとっても、
ここで休暇が得られるなら理想に近い。
危険な前線任務を終え、
生きて帰還し、
部隊も大きな成果を残した。
軍人として求められた仕事は十分に果たしている。
ところが本国で待っていたのは、
凱旋休暇ではなかった。
参謀本部から新たに示されたのは、
連邦国境付近で大規模動員の兆候があるという特命。
南方大陸から帰った直後に、
今度は東側の巨大な敵を相手にすることになる。
一つの戦役を終えたからといって、
ターニャの戦争は終わらない。
共和国軍残党に勝利しても、
連邦という新たな脅威が現れる。
勝利が平穏へつながるのではなく、
次の任務への入口になっている。
しかも第二〇三航空魔導大隊は、
すでに帝国軍の中でも非常に高く評価されている。
だから危機が起これば、
真っ先に必要とされる。
ターニャが恐れていた「有能だから使われ続ける」が、
そのまま現実になっている。
本人としては、
成果を出して安全な後方へ近づきたい。
しかし帝国軍から見れば、
成果を出した人物ほど前線で使いたい。
この食い違いがある限り、
ターニャはいくら勝っても戦場から抜け出せない。
連邦とメアリー・スーまで現れ、「一つ勝てば終わる」という感覚は完全に崩れていく
連邦国境へ向かった後も、
状況はさらに悪化していく。
帝国にとって連邦は、
軽く扱える相手ではない。
新たな巨大勢力が動き始めたことで、
戦線はさらに広がっていく。
そこへ連合王国主導の多国籍義勇軍まで入ってくる。
各国がそれぞれの思惑で帝国へ対抗し始め、
帝国対一国という単純な戦争ではなくなっていく。
ターニャたちは、
ますます多くの敵を相手にしなければならなくなる。
そしてその中にいたのが、
メアリー・スー。
父を殺した帝国へ強い憎しみを抱き、
正義を信じて戦場へ立つ少女だった。
ターニャとはまったく違う感情で、
戦争へ入ってきた人物でもある。
ターニャにとって敵は、
基本的には任務上排除すべき存在。
しかしメアリーにとって帝国は、
父を奪った憎むべき敵。
同じ戦場にいても、
戦う動機そのものが違う。
だから戦争は、
軍上層部が一つの勝利を決めれば終わるほど単純ではない。
国家同士の利害。
復讐。
正義。
同盟関係。
それぞれが別方向から戦争を続ける力になる。
ターニャが南方大陸で勝利しても、
共和国軍残党との戦いが一つ終わっただけ。
その直後には連邦が動き、
多国籍義勇軍が現れ、
メアリーまで戦場へ入ってくる。
この経験を重ねれば、
ターニャが「勝利」という言葉を単純に喜べなくなるのも当然になる。
一つ勝てば、
別の敵が現れる。
別の敵に勝てば、
また別の任務が始まる。
ターニャにとって問題なのは、
勝てるかどうかだけではない。
その勝利が本当に戦争の終わりへ近づくのか。
そこまで見なければ、
単なる一時的な戦果で終わってしまう。
だから第7話で、
帝国後方がなお勝利へ執着していることに驚く。
ターニャ自身はすでに、
勝利の直後に次の戦場が来る経験を何度もしている。
勝てば終わるという期待を、
もう簡単には持てなくなっている。
第6章 帝国が「勝てる」と思い続けるほど戦争が終わらなくなる
前線では兵士も物資も減っているのに、後方ではまだ「勝利」が現実的に見えている
第7話「煉獄」で特に強く出るのが、
前線と後方の感覚のずれ。
ソルディムでは、
ターニャたちが必死に持ちこたえている。
しかし肝心のアンドロメダ計画は頓挫する。
つまり現場の部隊が奮戦しても、
戦争全体を動かす大きな計画が失敗すれば、
状況は簡単には変わらない。
ターニャたちは戦場で成果を出しながら、
それでも終戦へ近づけない現実を見せつけられる。
その後、
休暇を兼ねて帝都へ戻ったターニャが知るのが、
後方がなお勝利へ執着している状況。
ここで彼女が驚くのは、
帝国に戦意が残っていたこと自体ではない。
前線の疲弊を知っている自分と、
後方で戦争を見ている人々の間に、
あまりにも大きな温度差があったからになる。
ターニャにとって戦争は、
毎回死ぬ可能性がある現実。
しかし後方から見れば、
前線の状況は報告書や地図として届く。
どこを防衛した。
どこで敵を退けた。
どの部隊が戦果を挙げた。
数字だけなら、帝国がまだ戦えているようにも見える。
そこで生まれやすいのが、
「まだ余力がある」
「もう少し頑張れば勝てる」
という感覚。
だが前線にいるターニャから見れば、
その「もう少し」の重さがまったく違う。
もう一度攻勢を行えば、
兵士が必要になる。
魔導師も必要。
補給部隊も動く。
弾薬も燃料も消費する。
そして失敗すれば、それらを一度に失う。
勝利への距離だけを見れば近くても、
そこへ届くまでの損害が大きすぎれば意味がない。
ターニャは、
その計算を戦場で何度も経験してきた。
「勝たなければ終われない」という執着そのものが、帝国をさらに深い戦争へ引き込んでいく
帝国にとって難しいのは、
ここまで戦った以上、
簡単には引き返せなくなっていること。
多くの兵士が死に、
大量の資源を使い、
各地で戦線を維持してきた。
そこで妥協すれば、
今まで払った犠牲が無駄になるように感じられる。
だからこそ、
「ここまで来たなら勝たなければならない」
という考えが強くなる。
しかしターニャは、
その考え方の危険性を理解している。
過去にどれほど損失を出していても、
これからさらに大きな損失が予想されるなら、
そこで止まる方が合理的な場合もある。
戦争は、
投入した犠牲が大きいからといって、
続ければ必ず報われるものではない。
むしろ損害を取り返そうとして戦線を広げれば、
さらに多くを失う可能性がある。
劇場版でも、
共和国軍残党との戦いに勝った後、
すぐ連邦との対立が始まった。
第2期でも、
一つの作戦が成功しても、
別の戦線や別の危機が待っている。
ターニャはそうした経験から、
「勝てるか」だけではなく、
「勝つまで帝国が持つのか」を見るようになっている。
兵士。
物資。
時間。
国力。
すべてには限界がある。
しかし後方では、
前線で一つ勝利が報告されるたび、
まだ戦えるという期待も生まれる。
その期待が次の作戦を呼び、
次の作戦がさらに前線を消耗させる。
ここに第7話の皮肉がある。
最も多く敵を倒し、
帝国へ勝利をもたらしてきたターニャほど、
勝利への執着から距離を置いている。
反対に、
最前線で直接死と向き合わない人々ほど、
帝国の完全勝利をまだ信じている。
戦争から遠いほど、
戦争を続ける決断が軽く見えてしまう。
ターニャが望んでいるのは、
帝国が無条件に降伏することではない。
できる限り有利な条件を確保し、
それ以上の犠牲を出す前に戦争を終えること。
ところが帝国全体が、
「まだ勝てる」
「勝たなければならない」
という方向へ進めば、
終戦の機会は遠ざかっていく。
勝利を求めるほど、
次の戦闘が必要になる。
次の戦闘をすれば、
また犠牲が出る。
その犠牲を無駄にしたくないから、
さらに勝利を求める。
第7話でターニャが見たのは、
そんな循環へ帝国そのものが入り始めている姿だった。
だから彼女にとって怖いのは、
敵軍の強さだけではない。
帝国自身が、
「勝利」という言葉から降りられなくなっていること。
前線を知るターニャほど、
その先に待つ消耗まで見えてしまう。
戦争を終わらせたいターニャと、
勝つまで終われない帝国。
第7話では、
同じ帝国側にいるはずの両者の距離が、
はっきり見えるところまで広がっている。
第7章 ターニャが本当に欲しい勝利とは「もう戦場へ行かなくていいこと」
帝国の英雄になることより、自分と部下が生き残る方が重要
ターニャは、
帝国そのものを嫌っているわけではない。
軍人として命令を受ければ動き、
戦場へ出れば誰よりも冷静に戦う。
その姿だけなら、帝国へ忠誠を尽くす模範的な軍人にも見える。
しかし彼女が人生の最後に欲しいものは、
勲章でも英雄の称号でもない。
戦争が終わり、
自分と部下が生き残り、
もう最前線へ送られなくて済む状態を求めている。
これは第1期から変わっていない。
安全な後方勤務を望み、
出世すれば危険から遠ざかれると考え、
そのために与えられた任務を完璧にこなしてきた。
ところが実際には、
優秀さを証明するほど軍から必要とされる。
必要とされるほど、
危険な戦場へ投入される。
ターニャが望んだ人生と、
軍がターニャへ求める役割は常に反対方向へ進んでいる。
だから彼女にとって、
「勝利」はそれだけでは価値を持たない。
一つの作戦に勝っても、
翌日に別の戦場へ送られるなら、
本人の生活は何も変わらない。
南方大陸で勝利しても、
連邦国境へ向かわされる。
共和国軍残党を退けても、
メアリー・スーたち新たな敵が現れる。
第二〇三航空魔導大隊が成果を出すほど、
次の危険な任務が待っている。
ターニャは、
この循環を何度も経験してきた。
だから彼女が求める「勝ち」は、
敵を何人倒したかでは測れない。
戦争そのものが終わり、
次の出撃命令が来なくなることが一番大きい。
第7話で完全に逆転した「前線のターニャ」と「勝利を求める後方」
第7話で強く残るのは、
ターニャと帝国後方の立場が、
普通に想像する姿とは逆になっているところ。
前線で敵を撃ち落とし、
砲撃の中を飛び、
何度も死地を越えてきたターニャ。
そんな彼女の方が、
戦争を早く終わらせなければならないと考えている。
一方で、
直接戦場へ立っていない後方には、
「まだ勝てる」
「ここまで来たなら勝たなければならない」
という思いが残っている。
ターニャから見れば、
その言葉の裏にある犠牲が見える。
次の攻勢を始めれば、
その作戦に参加する兵士が必要になる。
第二〇三航空魔導大隊にも、
再び危険な命令が届く可能性がある。
勝利という一語の裏には、
誰かが前線へ行く現実がある。
誰かが敵の火力へ飛び込み、
誰かが負傷し、
誰かは帰ってこない。
ターニャ自身が、
その「誰か」になり続けてきた。
だから後方から語られる勝利と、
前線にいる人間が見る勝利は、
同じ言葉でも重さが違う。
ターニャは、
敵国に勝たせたいわけではない。
帝国が崩壊してもいいと考えているわけでもない。
できるなら帝国にとって有利な形で、
自分たちが生き残れるうちに終戦へ持ち込みたい。
つまり彼女が拒んでいるのは、
勝つことではない。
「完全勝利するまで何度でも戦い続ける」という発想になる。
一つの都市を取れば、
次の都市が欲しくなる。
一つの軍を破れば、
残った敵を完全に叩こうとする。
ここまで犠牲を払ったのだから、
もっと大きな成果を得なければならないと考える。
そのたびに戦争は長くなる。
戦争が長くなれば、
兵士も国力も削られていく。
そして前線へ戻されるターニャ自身の生存率も下がる。
だからターニャにとって、
最良の勝利とは、
戦果を積み上げ続けることではない。
敵味方双方が銃を下ろし、
軍が次の作戦を必要としなくなること。
その瞬間が来れば、
初めてターニャは、
自分が最初から望んでいた生活へ近づける。
安全な場所。
安定した立場。
戦場で突然命を失う可能性のない毎日。
第1期から彼女が求め続けていたものは、
実はずっとそこにある。
だから「ターニャはなぜ戦うのか」と見ると、
戦争が好きだからではない。
戦わなければ死ぬから戦い、
戦う以上は生き残るために勝つ。
そして勝った先では、
今度こそ戦争そのものが終わってほしいと願っている。
第7話で後方の勝利願望に驚いたのは、
ターニャが臆病になったからではない。
誰よりも長く前線へ立ち続けたことで、
勝利の先に必ず平和があるわけではないと知ってしまったから。
帝国の完全勝利より、
戦争から生きて帰ること。
英雄になることより、
部下を連れて戦場を離れること。
ターニャが本当に求めているのは、
「もう戦わなくていい」という形で訪れる終わりだった。


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