第11話の「たのしかった」は、単に楽しい出来事を振り返った言葉ではなく、「もう同じ場所には戻れないかもしれない」人物たちが、それでも手放せない時間を表している。
第4話「たのしいかも」、あられとクレマチスの過去、都子へ近づくビオラを重ねると、「寄り添えばあたたかかった」という記憶が、離別した後の執着や炎上へ変わる構図が見えてくる。
第11話の「止まらない火」も、その楽しかった時間を失った後に残る感情として読むと、「たのしかった」という題名と一つにつながる。
第1章 第11話「たのしかった」は何を指している?
「たのしかった」は、失いかけた現在を過去から見直す言葉
第11話の題名は「たのしかった」。
この一言が重いのは、楽しい場面を振り返るだけではなく、
今まで続いていたみゅーたいぷの時間が、
すでに同じ形では続かないかもしれないところまで来ているから。
第11話の「寄り添えば、ちゃんとあたたかくて」「離れなければ、それでよかったはずなのに」という言葉も、
現在より過去へ視線を向けている。
その対照として強いのが、第4話「たのしいかも」。
この回では、あられとののかがコラボ曲へ動き、
都子も好きな作品の話題から制作へ自然に関わっていく。
練習では初期の噛み合わなさが薄れ、
あられ自身にも「歌いたい」という感情が戻っていた。
過去の炎上を抱えながらも、みゅーたいぷの中では音楽を楽しめるかもしれない。
題名の「かも」は、これから先へ開いた言葉だった。
ところが第11話では、その「たのしい」が「たのしかった」へ変わる。
第4話で生まれた仲間との温度が、
第5話のフェアリィブゥケ炎上、第6話以降のビオラと都子の接触、
第9話の解散危機を経て、簡単には守れないものになっている。
一緒に活動するだけで続く関係ではなく、
過去の傷、現在の選択、誰を信じるかまで突き付けられている。
都子の場合、その変化が特に分かりやすい。
みゅーたいぷでは映像や制作へ関わり、
ののかやあられと同じ活動の中にいた。
しかし第6話以降、ビオラが都子へ直接接触し、
あられへ向けた炎上とは別の方法で心理的距離を縮めていく。
否定や攻撃ではなく、都子の孤独や不満へ言葉を差し込み、
理解者のような位置へ入ってくる。
だから第11話の「あたたかさ」は一方向ではない。
みゅーたいぷで積み重ねた温度がある。
同時に、都子がビオラから受け取る温度もある。
都子がどちらへ寄るのかが揺れるほど、
「たのしかった」は単なる思い出ではなく、
失いたくない居場所を振り返る言葉として刺さる。
あられにも同じ構造がある。
過去にはクレマチスと音楽を楽しんだ時間があり、
その記憶が完全に消えたわけではない。
だから第5話でクレマチスが「えれあ曲」を演奏した時、
昔の感情が現在へ戻り、
配信終了忘れからフェアリィブゥケ炎上へ発展した。
楽しかった過去が、そのまま現在を救うのではなく、
逆に今の関係まで揺らしている。
「たのしかった」は、
誰か一人の感想に限定するより、
都子、あられ、クレマチス、律たちが持つ
「戻りたいが、同じ形には戻れない時間」へ広く重ねた方が自然。
楽しかったから忘れられない。
あたたかかったから離れにくい。
その過去形が、第11話全体の不穏さを支えている。
本当に楽しかったからこそ、「離れなければ」が後悔として残る
第11話の「離れなければ、それでよかったはずなのに」は、
最初から壊れていた関係には使いにくい言葉。
一緒にいた時期があり、
そこで安心や幸福を感じていたからこそ、
離れた後に後悔が残る。
あられとクレマチスは、その典型になる。
過去の活動では同じ音楽へ向かい、
現在でもクレマチスはあられへの感情を切り捨てられない。
第5話で「えれあ曲」を弾いた行動も、
単なる懐古ではなく、現在の判断まで動かすほど
昔の時間が残っている証拠になる。
みゅーたいぷも第9話で大きく揺れる。
「一人は離れて、一人は踏ん張って、一人は踏み出して、一人は立ち止まる」
という状態になり、
さらに何も選べない人物まで残る。
第4話では同じ場所へ集まり始めた仲間が、
第9話では同じ方向を向けなくなっている。
だから第11話の「たのしかった」は、
完全な別れの後に出る回想ではない。
今まさに関係が壊れそうな時、
「あの時間は確かに楽しかった」と確認する言葉に近い。
終わってから懐かしむのではなく、
終わらせたくないのに過去形へ変わり始めている。
そこが一番苦い。
第2章 なぜ「たのしい」ではなく「たのしかった」なのか?
第4話「たのしいかも」は未来、第11話「たのしかった」は失われかけた現在を向いている
第4話と第11話は、
同じ「たのしい」を使いながら時間の向きが逆になる。
第4話「たのしいかも」は、
まだ確信ではないが、
これから仲間との活動が広がる余地を残している。
第4話では、あられとののかがコラボへ進み、
都子も好きな作品の話題から自然に会話へ入り、
制作面でみゅーたいぷへ関与していく。
バンド練習でも音が合い始め、
あられは過去の炎上で失いかけていた
「人前で歌う楽しさ」を少しずつ取り戻していた。
一方、第11話までには状況が変わる。
第5話ではクレマチスの配信切り忘れから
「えれあ曲」が表へ出てフェアリィブゥケが炎上。
第6話ではビオラが都子へ直接近づき、
第9話では律がビオラ対策本まで用意するほど警戒を強める。
仲間同士の問題だけでなく、
過去から持ち込まれた関係まで現在へ入り込んでいる。
その積み重ねの先で、
「たのしい」が「たのしかった」へ変わる。
第4話では、これから楽しくなるかもしれない。
第11話では、楽しかった場所を守れるか分からない。
同じ言葉でも、
前者は未来へ開き、後者は喪失へ近づいている。
「たのしかった」は終わりの宣言ではなく、終わらせたくない人物たちの言葉
ただし、第11話はすべてが終わった回ではない。
第10話でも、
揺れて、衝突して、関係の形が崩れながら、
「ここで終わりにしたくない」という方向へ動いている。
だから第11話の過去形も、
完全な決別後の言葉ではない。
都子はまだ選び切っていない。
みゅーたいぷで築いた関係があり、
一方ではビオラから理解を与えられる。
律はビオラの危険性を知り、
第9話では対策本まで作り、
第11話では都子を引き戻す側へ踏み込む。
あられも過去の炎上から完全に自由ではないが、
現在にはののか、律、都子たちがいる。
昔のように一人でネットの炎へ向き合う状態ではない。
過去の「たのしかった」と、
現在のみゅーたいぷの「たのしい」を
同じ結末へしたくない人物が残っている。
だから第11話の題名は、
「楽しい時間は終わった」という断定ではない。
楽しかった。
だから終わらせたくない。
あたたかかった。
だから離れたくない。
その感情がまだ残っている状態を、
過去形で突き付ける題名になっている。
そして、その「失いたくない」という感情が強くなるほど、
次に続く「その火は、もう止まらない」が重くなる。
楽しかった時間を守りたい気持ちが、
執着、炎上、焦燥、依存へ変わる。
第11話の題名と「火」は、
そこで初めて一本につながってくる。
第3章 「たのしかった」は、誰の気持ちなのか?
都子だけでなく、あられ・クレマチス・律にも同じ過去形が重なる
第11話の「たのしかった」を、
藤都子一人の感情へ限定すると狭くなる。
みゅーたいぷ周辺では、
複数の人物が「楽しかった時間」と、
現在では同じ場所へ戻れない現実を抱えている。
都子は第4話で、
あられとののかのコラボへ自然に関わり、
制作面でも自分の役割を持ち始めた。
好きな作品の話題へ反応し、
二人の活動へ入り込む姿には、
みゅーたいぷの一員として居場所を得ていく実感がある。
ところが第6話以降、
ビオラが都子へ直接接触する。
あられへ向けた炎上とは違い、
都子には否定や攻撃を前面へ出さない。
言葉を聞き、
理解者の位置へ入り、
心理的な距離を縮めていく。
第9話では、
律がビオラ対策本まで用意するほど警戒を強める。
それでも第11話では、
都子本人がビオラの言葉へ傾く。
第4話で仲間の輪へ入っていた人物が、
今度は別の相手へ心を寄せ始める。
ここに「たのしかった」の過去形が強く重なる。
あられにも、
同じ言葉が刺さる。
中学時代にはクレマチスたちと音楽を続け、
楽しかった時間が確かに存在した。
しかしネット炎上によって、
その記憶には恐怖と後悔が付着した。
第5話では、
クレマチスが配信終了を忘れたまま、
あられとの過去へ結び付く「えれあ曲」を演奏する。
昔の思い出を捨て切れない演奏が、
現在のフェアリィブゥケ炎上へ直結する。
楽しかった過去が、
現在の騒動を再び動かしてしまう。
クレマチス側も、
あられとの関係を完全には切れていない。
第3話ではビオラから圧力を掛けられ、
あられへ関わらないよう求められる。
それでも第5話では、
過去曲へ手を伸ばす。
現在の立場より、
昔の感情が先に出る瞬間になる。
だから「たのしかった」は、
一人の回想というより、
都子には現在のみゅーたいぷ、
あられとクレマチスには過去の音楽活動、
律には今の居場所というように、
それぞれが失いたくない時間へ重なる題名と見た方が自然になる。
律が都子を引き戻そうとする場面にも、「過去形にしたくない」という感情がある
律も、
第11話の題名から外せない。
ビオラから「用済み」と受け取れる言葉を向けられた時、
刺されたのは能力だけではない。
今いる場所から外される恐怖そのものだった。
だから律は、
第9話でビオラ対策本を作る。
あられの炎上を知り、
自分自身も言葉で揺さぶられ、
さらに都子への接触まで確認する。
嫌いな相手を避けるという段階ではなく、
仲間へ被害が広がる前に備える行動へ進んでいる。
第11話では、
対策本だけでは足りなくなる。
都子本人がビオラへ傾いているからだ。
そこで律は、
外から「危険だ」と言うだけではなく、
自分自身の過去や傷まで出して都子へ近づこうとする。
これは、
今まで築いた関係を過去形にしたくない行動でもある。
第4話では同じ活動へ入り、
第9話では解散危機まで経験した。
そこから第11話で都子が完全に離れれば、
「たのしいかも」だった時間が本当に「たのしかった」で終わってしまう。
だから題名の主語は、
一人へ固定しない方が強い。
都子は迷う。
律は引き戻す。
あられは過去の炎上を抱える。
クレマチスは昔の曲を捨て切れない。
全員が、
失った時間と失いたくない現在を別々の形で抱えている。
第11話「たのしかった」は、
その複数の感情を一つへ束ねる言葉になる。
本当に楽しかった。
だから離れた後も残る。
だから現在の判断まで動かす。
短い題名の中に、
過去と現在の人間関係が重なっている。
第4章 「寄り添えば、ちゃんとあたたかくて」は誰と誰のこと?
都子とビオラには、炎上ではなく「理解者として近づく」接触が使われている
第11話の
「寄り添えば、ちゃんとあたたかくて」は、
藤都子とビオラへ重ねると最も不穏になる。
ビオラは、
相手によって接触方法を明確に変えている。
あられには、
ネット炎上という外側からの攻撃が残った。
情報や映像が拡散され、
本人の意思では止められない。
第5話でも、
配信終了忘れと「えれあ曲」が新たな炎上へ発展し、
過去の傷が現在へ引き戻される。
律には、
もっと直接的な言葉を使う。
ののかの存在を絡め、
自分はもう必要ではないと思わせる方向へ刺す。
仲間の中での役割を失う不安を、
本人へ直接突き付ける形になる。
しかし都子には、
同じ方法を使わない。
第6話以降、
ビオラは都子へ直接近づき、
強い否定より会話、
攻撃より理解、
拒絶より肯定を選ぶ。
都子が弱っている時に、
自分を見てくれる相手として近づく。
だから周囲には危険でも、
都子本人には「自分を分かってくれる人」として映りやすい。
ここで「あたたかさ」が生まれる。
第9話で律が対策本を用意しても、
第11話では都子の感情まで止め切れない。
外から見た危険性と、
本人が受け取る優しさが一致しないからだ。
ビオラの接触が厄介なのは、
攻撃された側が攻撃だと判断しにくいところにある。
だから「あたたかい」は、
安心だけを表す言葉ではない。
近くにいる。
話を聞く。
否定しない。
その行動が積み重なるほど、
都子はビオラを切り離しにくくなる。
みゅーたいぷにも同じ「あたたかさ」があるから、都子の選択は簡単ではない
ただし、
都子が求める温度はビオラだけにあるわけではない。
第4話では、
あられとののかのコラボへ制作面から関わり、
好きな作品の話題へ反応し、
仲間の活動へ自然に入り込んでいた。
第9話では、
その関係が大きく崩れる。
一人は離れ、
一人は踏ん張り、
一人は踏み出し、
一人は立ち止まる。
同じバンドでも、
判断も感情も一致しない状態まで進む。
それでも第10話では、
衝突しながら「ここで終わりにしたくない」という方向へ戻ろうとする。
完全に切れた関係ではない。
だから都子にとって、
みゅーたいぷも簡単に捨てられる場所ではない。
第11話で都子の前にあるのは、
敵か味方かという単純な選択ではない。
今まで活動を積み上げてきた仲間との温度。
今の自分へ言葉を掛けるビオラの温度。
どちらも、
都子本人の感情へ直接触れている。
ここで
「離れなければ、それでよかったはずなのに」
が続く。
一度近くにいた相手ほど、
離れた時の差は大きい。
みゅーたいぷから離れる怖さも、
ビオラから離れる怖さも、
都子の中では同時に成立し得る。
だから第11話の「あたたかさ」は、
幸福だけの言葉ではない。
誰と寄り添ったか。
誰から離れるのか。
どの関係を守るのか。
その選択が、
次の「止まらない火」へ直結している。
第11話「たのしかった」が不穏なのも、
同じ場所に理由がある。
本当に温度があった。
本当に楽しい時間があった。
だから離別が、
ただの関係解消では終わらない。
過去の幸福が、
現在の執着や後悔をさらに強くしている。
第5章 「離れなければ、それでよかったはずなのに」は過去の関係にも重なる
あられとクレマチスは、離れた後も過去の音楽を完全には切れていない
第11話の
「離れなければ、それでよかったはずなのに」は、
あられとクレマチスの過去へ重ねると具体性が増す。
二人は現在だけを見れば距離がある。
しかし第5話では、
過去の音楽が現在へ直接戻ってきた。
クレマチスは配信終了を確認しないまま、
あられとの過去へ結び付く「えれあ曲」を演奏する。
昔一緒にいた相手を忘れ切れない感情が、
演奏という具体的な行動へ出る。
しかも、その配信が外へ流れたことで、
フェアリィブゥケ側へ炎上が発生する。
ここでは、
過去の関係が単なる思い出で終わっていない。
あられへ関わらないよう圧力を受けても、
クレマチスは過去曲へ手を伸ばす。
忘れたふりをして現在だけを進むことができず、
昔の感情が配信事故という形で表へ出ている。
あられ側も、
クレマチスとの再会後に平静ではいられない。
第5話ではミーティングへ遅れ、
普段のアバターを出さず、
音声のみで参加する。
さらにオンラインライブ練習を休ませてほしいと申し出る。
この一連の行動を見ると、
過去の関係が現在のみゅーたいぷへまで影響している。
昔の相手と再会した。
それだけで終わらず、
現在の練習、配信、仲間との時間まで止まりかける。
あられにとって「離れた」は、
完全に終わった出来事ではない。
だから「離れなければ」が刺さる。
二人に楽しい時間がなければ、
過去曲を弾く必要もない。
再会後にあられが塞ぎ込むこともない。
大切だった関係だからこそ、
離れた後も現在へ強く残っている。
しかも第3話では、
クレマチスがビオラから
あられへ関わらないよう求められる。
本人同士だけで距離が生まれたのではなく、
外部から関係を切断する圧力まで加わっている。
その状態で第5話の「えれあ曲」が出るから、
過去への未練がさらに具体的に見える。
第11話の「たのしかった」は、
こうした関係へ重ねると軽くならない。
昔は音楽を一緒に楽しめた。
現在では同じ場所へ立てない。
それでも曲だけは残っている。
過去の幸福が、
演奏を通して現在へ戻ってくる。
第9話の解散危機では、現在のみゅーたいぷも「離れる」寸前まで進んでいた
「離れなければ」は、
昔の人間関係だけを指す言葉でもない。
現在のみゅーたいぷ自身が、
第9話で解散危機まで進んでいる。
この回では、
全員が同じ判断をしていない。
一人は離れ、
一人は踏ん張る。
一人は踏み出し、
一人は立ち止まる。
さらに、
まだ何も選べない人物まで残る。
第4話では、
あられとののかがコラボへ動き、
都子も制作へ入り、
練習でも演奏が噛み合い始めていた。
そこから数話後には、
同じ仲間が別方向へ動いている。
「たのしいかも」だった場所が、
解散という現実的な言葉へ近づく。
第10話でも、
関係はすぐ元通りにはならない。
衝突する。
形が崩れる。
それでも、
ここで終わらせたくないという意志が残る。
この段階を経て第11話へ入るから、
「離れなければ」は現在のみゅーたいぷにも直接重なる。
都子も、
ただビオラへ惹かれているだけではない。
みゅーたいぷで制作へ参加し、
仲間と活動してきた履歴がある。
だから完全に切ることもできない。
一方でビオラは、
第6話以降の接触を通して、
都子の孤独へ入り込んでいる。
つまり第11話では、
過去の関係と現在の関係が、
同じ「離れる」という問題へ集まっている。
あられとクレマチスは、
すでに離れた後も過去を切れない。
都子とみゅーたいぷは、
これから離れてしまう可能性が残る。
「たのしかった」が過去形なのは、
こうした距離が現実に生まれているから。
一緒にいた時間が消えたわけではない。
むしろ記憶が残っているから、
離れた後の行動まで変わる。
第11話の短い言葉には、
その具体的な関係の重さが入っている。
第6章 「その火は、もう止まらない」は何の火?
第3話では、ビオラ自身が「火種」と「周囲が燃える」ことを口にしている
第11話の
「その火は、もう止まらない」は、
突然出てきた比喩ではない。
ビオラは第3話の時点で、
すでに「火種」を使った問いを口にしている。
ビオラはクレマチスへ、
火種が燃え尽きた後に何が起こるのかを問い掛ける。
そこで示されるのは、
火種だけが消えて終わる展開ではない。
周囲まで燃える。
友人や家族、
新しく結成したみゅーたいぷまで対象へ入る。
この場面が重要なのは、
ビオラの関心が最初から一人だけではないこと。
あられ本人を傷付ければ終わりではない。
あられとつながる人物。
現在の仲間。
その周囲まで巻き込む発想が、
第3話ですでに言葉へ出ている。
実際、第5話では、
火種が現実の炎上へ変わる。
クレマチスが配信終了を忘れ、
「えれあ曲」を演奏したことで、
フェアリィブゥケのイベントが炎上。
あられとの過去に触れた一つの演奏が、
本人たちだけでは止められない騒動へ膨らむ。
あられは以前にも、
ネット炎上によって活動そのものを傷付けられている。
だから「火」は、
単なる感情表現だけではない。
小さな発信が拡散され、
無数の視線へ広がり、
本人の意思では止められなくなる炎上と、
作品内で具体的に結び付いている。
第3話では「火種」。
第5話では実際の炎上。
第11話では「もう止まらない火」。
話数を順番に並べることが目的ではないが、
第11話の言葉を確認する材料として見ると、
同じ表現が段階的に大きくなっていることが分かる。
しかも第3話でビオラが挙げた
「新しく結成したみゅーたいぷ」まで、
後には本当に影響を受ける。
律はビオラ対策本を作り、
都子は直接接触され、
あられの過去も再び掘り返される。
火種が周囲へ移るという言葉が、
具体的な人物関係で現実化している。
第11話では、炎上だけでなく都子とビオラの感情そのものが止めにくい火へ変わる
ただし第11話の「火」を、
ネット炎上だけに限定すると足りない。
第11話では、
外側で燃える騒動より、
人物の内側で止めにくくなった感情が大きい。
都子への接触がその代表。
ビオラは第6話以降、
あられへ使った炎上とは別の方法を選ぶ。
都子へ近づき、
会話を重ね、
理解者のような位置へ入る。
第9話では、
律がビオラ対策本まで用意する。
つまり周囲は、
ビオラへ接触する危険を具体的に認識している。
それでも第11話になると、
都子本人の感情は警戒だけでは止まらない。
ここでは、
外から強制されているだけではない。
都子自身が、
ビオラの言葉を受け入れる。
自分を理解してくれる相手として意識する。
だから第三者が「離れろ」と言っても、
簡単には関係を切れなくなる。
これが、
第11話の「あたたかさ」から「火」へ変わる部分。
最初は話を聞いてもらえる安心。
次に、
そばにいてほしい感情。
そこから相手を失いたくない執着へ進めば、
温度は急に消せない火になる。
ビオラ自身にも、
同じ火がある。
クレマチスへあられとの接触を禁じ、
あられの現在の仲間まで対象に挙げるほど、
過去の関係へ強く介入している。
単なる悪戯なら、
ここまで周囲へ執着する必要はない。
だから第11話の「火」は、
一つの感情ではなく、
具体的には複数の現象へ重なる。
あられにはネット炎上。
クレマチスには過去を切れない感情。
都子にはビオラへ傾く依存。
ビオラには人間関係へ介入し続ける執着。
そして律は、
その火が広がる前に止めようとしている。
第9話の対策本も、
第11話で都子へ踏み込む行動も、
すでにあられの炎上を知っているからこそ出る。
一度燃え広がった後では、
本人だけでは止めにくいことを知っている。
第11話の
「その火は、もう止まらない」が重いのは、
抽象的な不吉さではない。
第3話の火種、
第5話の炎上、
第6話以降の都子への接触という具体的な出来事があり、
その先で感情まで燃え始めているからになる。
第7章 「たのしかった」が不穏なのは、本当に楽しかった時間があったから
第4話の「たのしいかも」があるから、第11話の過去形が強く刺さる
第11話「たのしかった」が重く響くのは、
最初から壊れていた関係を振り返っているからではない。
第4話「たのしいかも」では、
あられとののかがコラボへ動き、
都子も制作面から関わり、
練習では演奏の噛み合い方まで変わっていた。
特にあられは、
過去の炎上で人前へ出ることへ恐怖を抱えながら、
みゅーたいぷの活動を通して再び「歌いたい」と思えるところまで戻っている。
第4話の「たのしいかも」は、
単なる題名ではなく、
実際に仲間との時間が現在進行形で明るくなっていた状態を示していた。
だから第11話で「たのしかった」へ変わると、
言葉の向きが一気に逆転する。
第4話では未来へ広がっていた楽しさが、
第11話では後ろから振り返る形になる。
その間に、
クレマチスとの再会、フェアリィブゥケ炎上、ビオラの都子への接触、みゅーたいぷの解散危機が入っている。
第5話では、
クレマチスが配信終了を忘れたまま「えれあ曲」を演奏し、
過去の感情が現在の炎上へ直結した。
あられも再会後にはミーティングへ遅れ、
アバターを出さず音声だけで参加し、
オンラインライブ練習を休ませてほしいと申し出る。
楽しかった過去は、
思い出ではなく現在の行動まで変えている。
第9話では、
現在のみゅーたいぷ自身が大きく崩れる。
一人は離れ、
一人は踏ん張り、
一人は踏み出し、
一人は立ち止まり、
まだ何も選べない人物も残る。
第4話で同じ方向へ進み始めた仲間が、
第9話では別々の判断をするところまで来ている。
その後の第10話でも、
衝突と崩れが簡単には消えない。
それでも「ここで終わりにしたくない」という意志が残る。
だから第11話の「たのしかった」は、
完全に終わった後の回想ではない。
終わらせたくないのに、
今までと同じ形では続けられない人物たちの言葉になる。
「止まらない火」は、楽しかった時間を失いたくない感情が別の形へ変わったもの
第11話の最後に重なる
「その火は、もう止まらない」は、
「たのしかった」と切り離さない方が強い。
最初から憎しみだけがあったなら、
ここまで執着は残りにくい。
楽しかった。
大切だった。
離れたくなかった。
その感情があるから、
失った後に別の熱へ変わる。
ビオラは第3話の時点で、
「火種」が燃え尽きた後に周囲まで燃えることを口にしている。
友人や家族、
新しく結成したみゅーたいぷまで対象へ挙げる。
その後、
実際にあられの過去は再燃し、
第5話ではフェアリィブゥケ炎上へ広がった。
第6話以降は、
火の向きが都子へ変わる。
ビオラは炎上ではなく、
会話と肯定で都子へ接近する。
第9話では律がビオラ対策本まで用意し、
第11話では都子本人がビオラの言葉へ傾く。
今度はネットの外側ではなく、
本人の感情の内側で火が大きくなっている。
あられにも火が残る。
過去の炎上への恐怖。
クレマチスとの記憶。
現在のみゅーたいぷを守りたい感情。
律にも、
ビオラを警戒し、
都子を引き戻そうとする焦りがある。
だから第11話の「火」は、
一人だけの怒りへ固定しにくい。
あられには炎上。
クレマチスには切れない過去。
都子にはビオラへ傾く感情。
ビオラには周囲の関係へ介入し続ける執着。
律には仲間を離したくない意志がある。
その中心にあるのが、
「たのしかった」という過去形になる。
楽しかったから戻りたい。
あたたかかったから離れたくない。
離れてしまったから、
感情が現在まで残る。
そこへ火種が入れば、
簡単には止まらない。
第11話「たのしかった」は、
幸福な時間を懐かしむだけの題名ではない。
第4話で本当に生まれていた楽しさが、
第5話以降の炎上と過去の再燃、
第9話の解散危機、
第11話の都子とビオラの接近によって、
過去形へ変わりかけたことを示している。
だから最後に残るのは、
「楽しかったから終わった」ではない。
楽しかったから、
誰も簡単には終われない。
その未練、執着、後悔、抵抗が、
第11話の「止まらない火」として人物たちの中へ残っている。


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