『二十世紀電氣目録』の坂本清六は、喜八には電氣の夢を託した兄、陸健吾には戦場を生き残った後も忘れられない友、三添洋輔には電氣目録を追い続ける原点として残っている。
第8話「兄の足跡」で清六と健吾の過去までつながると、「坂本清六 人たらし」という呼び方は単なる人気者ではなく、出会った相手の生き方そのものを変えてしまう人物像を表していると見えてくる。
清六本人はもういないのに、坂本喜八・陸健吾・三添洋輔の現在の選択には今も清六が残っており、物語は実質的に「清六が残したもの」を巡って動き続けている。
第1章 結論|坂本清六の「人たらし」は人の人生まで変えてしまう
喜八・健吾・洋輔は、清六を失った後も別々の形で彼に動かされている
『二十世紀電氣目録』の坂本清六は、
物語の現在で何度も前に出る人物ではない。
第1話の時点ですでに戦争へ向かい、
喜八のもとへ帰らなかった兄として語られている。
それでも清六の存在は、物語からまったく消えていない。
喜八が電氣への夢を失ったこと。
健吾が戦場の過去を抱えて生きていること。
洋輔が二十世紀電氣目録を執拗に追っていること。
三人の現在を辿っていくと、
その奥に清六という一人の男が見えてくる。
清六の「人たらし」は、
誰にでも愛想が良いという話ではない。
目の前の相手がまだ自分でも気づいていない力を見つけ、
それを当然のように信じてしまう。
だから清六と接した人間は、自分まで少し大きなことができる気持ちになっていく。
一番分かりやすいのが弟の喜八だった。
少年時代の喜八は、頭の中に浮かぶ発明を
二十世紀電氣目録へ次々と書き込んでいる。
清六はそれを子供の空想として笑わず、
弟と一緒に電氣の未来を見る側へ立っていた。
まだ何も完成していない。
喜八も発明家として何かを成し遂げたわけではない。
それでも清六は弟の発想力を認め、
二人で新しい時代を作ろうとする。
喜八にとって兄は、自分の未来を先に信じてくれた人でもあった。
しかし清六は、
二十世紀電氣目録を持って戦争へ向かう。
そして帰らない。
兄を失っただけでなく、
一緒に未来を見ていた目録まで喜八の前から消えてしまう。
その後の喜八を見ると、
失ったものの大きさがよく分かる。
機械を扱う力も発想力も残っているのに、
かつて清六と語ったような大きな夢からは距離を置いている。
自分の発想を信じ切れなくなっている。
だから第3話で、
喜八が再び清六の想いへ触れる場面が大きい。
目録の中に残されていたものを見つけた時、
喜八は昔の兄へ戻ろうとしたのではない。
止まっていた自分の時間を、もう一度動かし始める。
しかも第8話まで進むと、
清六が残したものは喜八だけに向けられていなかったと分かる。
豪快な健吾にも清六との戦場の記憶があり、
洋輔にも電氣目録を追い続けるほど強い過去がある。
三人は清六を、それぞれまったく違う形で抱えている。
喜八には、
兄と一緒に見た電氣の未来が残った。
健吾には、
同じ戦場を生きた記憶が残った。
洋輔には、
清六と電氣目録への強烈な執着が残った。
清六は三人を同じ方向へ従わせたわけではない。
それなのに、
三人の人生の重要な場所へ入り込み、
本人がいなくなった後まで選択を動かしている。
そこに坂本清六という人物の強烈さがある。
清六がいないのに物語の中心から消えないのは、彼の言葉が人の中に残っているから
第1話の喜八は、
兄を失ってから明らかに止まっている。
発明そのものを嫌いになったわけではない。
ただ、清六と一緒に見ていた未来へ
一人で踏み出すことができなくなっていた。
そんな喜八の前へ稲子が現れる。
さらに、失われたはずの二十世紀電氣目録まで戻ってくる。
そこで過去に閉じ込めていた清六との記憶が、
もう一度現在へ入り込んでくる。
喜八の日常は、ここから大きく動き始める。
第3話では、
洋輔に電氣目録を否定され、
喜八自身まで自分の才能へ自信を失いかける。
そんな喜八に対して、
稲子はその夢を笑わない。
喜八ならできると信じる側に立つ。
これは少年時代の清六と重なる。
清六もまた、
完成した発明を見てから弟を認めたのではなかった。
何も形になっていない時から、
喜八の中にある可能性そのものを見ていた。
そして喜八は、
電氣目録の中から清六が残した想いへ辿り着く。
兄はもう目の前にはいない。
声をかけてくれることもない。
それでも昔にもらった信頼だけは、時間を越えて喜八の中へ戻ってくる。
ここで喜八は、
清六の代わりになろうとはしない。
兄と同じ道を歩こうとするのでもない。
稲子と一緒に、自分自身の電氣の未来へ進もうとする。
清六から受け取ったものが、別の形で次へつながっていく。
第8話になると、
清六の存在はさらに大きく見えてくる。
健吾が知っていた清六。
洋輔が追っていた清六。
喜八が知らなかった兄の顔まで少しずつ重なり始める。
物語の現在に清六本人はいない。
それでも主要人物が何かを選ぶたび、
過去に清六から受け取ったものが顔を出す。
坂本清六は死んで物語から消えた人物ではなく、
他人の中へ残ることで現在まで生き続けている人物なのである。
第2章 喜八は清六に「自分ならできる」と信じてもらった
兄弟で書いた二十世紀電氣目録は、喜八が初めて未来を信じられた場所だった
清六と喜八の関係が最も鮮明に見えるのは、
第1話「電氣少年」の少年時代だ。
幼い喜八は機械や電氣が好きで、
思いついた発明を二十世紀電氣目録へ書き込んでいく。
その横に清六がいた。
まだ世の中には存在しないもの。
実現できるかも分からないもの。
喜八の頭の中にしかない発想でも、
清六は最初から否定しない。
むしろ弟と同じ高さから、その先の未来を見ようとする。
ここで清六は、
立派な兄として喜八を導いているだけではない。
喜八の発想を受け取り、
それを二人の夢へ変えている。
喜八にとって二十世紀電氣目録は、
兄と一緒に未来を描ける場所だった。
だから清六が戦争へ向かったことは、
喜八にとって非常に重い。
清六は目録を持ったまま戦地へ行き、
そのまま帰らなかった。
兄と目録が同時に失われることで、
喜八は夢を支えていた二つの柱を一度に失ってしまう。
成長した喜八を見ると、
その傷は表情や行動の端々に残っている。
発明できなくなったわけではない。
機械への興味も消えていない。
それでも昔のように、
自分が未来を変えられるとは思えなくなっている。
清六と一緒なら、
突拍子もない発想でも夢として口にできた。
しかし一人になると、
その夢を本当に信じてよいのか分からない。
喜八にとって兄を失うことは、
自分を肯定してくれる視線まで失うことだった。
第3話で兄の想いを見つけた時、喜八の止まっていた時間が再び動き出す
そこへ現れたのが稲子だった。
稲子が持っていた二十世紀電氣目録によって、
喜八は避けていた清六との夢へ再び向き合うことになる。
しかもその目録を、
三添洋輔まで追い続けていた。
第3話「二人の夢」では、
喜八と稲子が洋輔に捕まり、
二十世紀電氣目録まで奪われる。
ところが洋輔は中身を確認すると、
自分が探しているものとは違うと判断する。
喜八にとっては、兄との夢そのものを否定されたような瞬間でもある。
洋輔は技術も知識も持っている。
蒸気機関を扱う三添家の力も大きい。
そんな相手から価値を否定されれば、
清六を失ってから自信を持てずにいた喜八が揺らぐのも無理はない。
ここで稲子が喜八を信じる。
稲子は、
喜八がすでに成功しているから信じるのではない。
まだ何も完成していなくても、
喜八が描いているものを見て前へ押す。
その姿は、少年時代の清六が喜八へ向けていたものと重なっていく。
そして喜八は、
電氣目録に残された清六の想いを見つける。
兄と過ごした時間が、
ただの懐かしい思い出ではなかったと知る。
かつて清六が自分を信じていたことが、
現在の喜八をもう一度立ち上がらせる。
ここから喜八は、
兄がいた頃へ戻ろうとはしない。
今度は稲子と一緒に進む。
清六との二人の夢だったものが、
現在では喜八と稲子の新しい挑戦へ変わっていく。
この変化を見ると、
清六の「人たらし」がよく分かる。
相手を自分のそばへ縛りつけるのではなく、
いつか自分がいなくなっても、
その人が自分自身の足で進めるものを残している。
清六が喜八へ渡した一番大きなものは、
電氣目録という一冊の本だけではない。
完成された発明でもない。
「お前の発想には価値がある」と、
まだ何者にもなっていない喜八を信じてもらった経験だった。
だから喜八は、
一度すべてを失っても立ち直ることができた。
清六の想いを知り、
稲子から再び信じてもらうことで、
止まっていた未来へもう一度手を伸ばしていく。
坂本清六の「人たらし」が最初に最も深く残った相手は、やはり弟の喜八なのである。
第3章 陸健吾は清六と同じ戦場にいた過去を抱え続けていた
豪快な「陸蒸気」の奥には、清六と一緒に帰れなかった戦場が残っていた
陸健吾が初めて前へ出てきた時、
坂本清六とのつながりはすぐには見えてこない。
頑丈な体と桁外れの腕力を持ち、
蒸気機関車のような力から「陸蒸気」と呼ばれる元軍人。
規子の婚約者という立場の方が、最初は強く印象に残る。
実際、喜八や稲子の前にいる健吾は豪快だ。
多少のことでは動じず、
普通の人間なら躊躇する場面でも身体を張って前へ出る。
第7話「駆け落ち」でも、
喜八たちの行く手を阻む側として大きな存在感を見せていた。
ところが健吾には、
喜八へ簡単には話せない過去があった。
健吾は清六の同級生であり、
二十世紀電氣目録についても知っている。
ただの「兄の昔の友達」では終わらないつながりが、
第8話「兄の足跡」でようやく前へ出てくる。
喜八と稲子が滋賀まで辿り着くと、
そこにいたのはケイトの父であるスチュワート先生。
かつて清六たちを教えていた人物で、
開かずの書庫には別の二十世紀電氣目録が残されていた。
書庫を開くために必要だったのも、
かつて清六が作った電氣の発明だった。
兄が昔ここで何をしていたのか。
誰と関わり、何を残そうとしていたのか。
喜八が知らなかった清六の時間が、
書庫と発明を通して少しずつ姿を現していく。
その中で健吾も、長く胸の内にしまっていた戦場の話を語り始める。
健吾と清六は、
同じ戦場へ立った過去を持っていた。
少年時代の喜八が知っている清六は、
電氣の未来を語り、発明へ胸を躍らせる明るい兄だった。
しかし健吾が知っている清六には、
戦地で死と隣り合わせになった別の顔がある。
そして健吾自身は、
戦場から生きて帰ってきた。
清六は帰ってこなかった。
その事実だけでも、
清六の弟である喜八を前にした時、
簡単に昔話として語れるものではなかったはずだ。
さらに重いのが、
二十世紀電氣目録が二人の生死へまで関わっていたこと。
戦場で健吾は胸元に目録を持っており、
それによって命を拾う形になった。
本来は未来の発明を描くはずだった一冊が、
皮肉にも戦場では健吾の命を守るものになった。
生き残った健吾から見れば、
簡単に「運が良かった」で終われる出来事ではない。
もし目録を持っていたのが清六だったら。
もしあの時の位置や行動が少し違っていたら。
自分ではなく清六が帰る未来もあったのではないか。
そんな考えが残り続けても不思議ではない。
だから第7話で健吾が、
喜八と稲子の前に立ちはだかる姿にも別の重さが出てくる。
単純に百川家の都合だけで二人を止めたい人物ではない。
喜八が追っている電氣目録が、
健吾にとっては清六の死と自分の生還を同時に思い出させるものでもある。
触れれば昔の傷まで一緒に開いてしまう一冊だった。
健吾が清六を忘れられないのは、自分だけが帰ってきた時間を生き続けているから
健吾と清六の関係が重いのは、
二人が同じ夢を語ったからだけではない。
同じ時代を生き、
同じ戦争へ向かいながら、
片方だけが現在へ戻ってきたところにある。
喜八にとって清六は「帰らなかった兄」。
しかし健吾にとっては、
自分のすぐ近くにいて、
同じ危険の中を生きていた清六でもある。
喜八が知らない最期の時間を知っていること自体が、
健吾にとって大きな荷物になっている。
第8話まで健吾が、
清六について多くを語らなかった姿も印象深い。
いつもなら腕力で物事を押し切れそうな「陸蒸気」が、
清六のことになると簡単には前へ出られない。
力ではどうにもできない過去を抱えていたことが、
ここで初めてはっきり見えてくる。
しかも現在の健吾には規子がいる。
戦場から戻った後の生活があり、
これから築こうとしている家庭もある。
清六と過ごした時間だけに留まり続けている人物ではない。
それでも過去が消えたわけではなかった。
ここが清六の「人たらし」を見るうえでも大きい。
健吾は清六の弟ではない。
血のつながった家族でもない。
それでも何年も経った後まで、
清六との出来事を胸の奥へ残している。
清六は喜八に夢を残した。
一方で健吾には、
共に生きた時間そのものを残した。
同じ清六との関係でも、
弟と友人では残されたものがまったく違う。
だから健吾が第8話で過去を語ることは、
清六について新しい事実が判明するだけではない。
健吾自身が長く抱えてきたものを、
清六の弟である喜八へ渡す瞬間でもある。
喜八はそこで初めて、
自分の知らなかった兄の人生へ触れることになる。
清六という人物は、
喜八の記憶だけを見ていると明るく頼れる兄に見える。
健吾の記憶まで重ねると、
その人物が戦争という現実の中で何を背負ったのかまで広がっていく。
喜八の知らない場所にも清六の人生が存在したことが、
「兄の足跡」という第8話で強く見えてくる。
第4章 三添洋輔まで清六に強く惹きつけられていた
洋輔が電氣目録へ執着する奥には、清六と交わした未来への約束がある
三添洋輔は物語の序盤から、
二十世紀電氣目録を異様なほど追い続けている。
蒸気機関で財を成した三添商店の御曹司で、
本人も優秀な技術者。
金も技術も立場も持つ洋輔が、
一冊の古い目録だけは簡単に諦めない。
第2話「目録の謎」では、
稲子が持っていた電氣目録を手に入れるため、
洋輔は喜八たちを追い詰めていく。
稲子との婚約まで進めながら、
その先でも目録を探し続ける。
単純に珍しい発明書が欲しいという熱量ではない。
その異常さがさらに見えてくるのが、
第3話「二人の夢」。
ついに電氣目録を手にした洋輔は、
中身を見ると喜ぶどころか強く失望する。
そこには自分が探していたものがなかった。
洋輔が求めていたのは、
目録という物体だけではない。
清六が語っていた「この先」が、
そこに記されていると信じていた。
だから喜八が少年時代に書いた発明案だけを見ても、
洋輔には納得できなかった。
この時点で分かるのは、
清六が未来を語っていた相手は喜八だけではなかったこと。
喜八には兄として、
一緒に電氣の時代を作ろうと語りかける。
その一方で洋輔にもまた、
二十世紀を電氣の時代にする未来を見せていた。
ここで三人の関係が面白くなる。
喜八から見れば、
清六と電氣の未来を作るのは自分だった。
ところが洋輔の側にも、
清六と共有した未来がある。
一人の清六が、二人の少年へ同じくらい大きな夢を残していた。
だから喜八が実際に、
目録に残された発明を形にしていくほど、
洋輔の感情は単純ではなくなっていく。
目の前にいる喜八は清六の弟であり、
かつて清六が信じた発想力を本当に持っている。
洋輔にとっては無視できない相手になっていく。
第3話で電氣満月が形になった時も、
喜八は単なる空想少年ではなくなる。
兄と書いた発明を、
現在の自分の手で現実へ引き寄せてみせる。
洋輔が欲しかった清六の未来を、
清六の弟が目の前で実現し始めることになる。
第6話「革新の音」では、
二人の対立はさらに目に見える形になる。
洋輔の蒸気パイプオルガンに対して、
喜八は電氣による演奏で挑む。
蒸気と電氣という二つの未来が、
清六を知る二人の間で真正面からぶつかっていく。
喜八への対抗心まで強く見えるのは、清六が洋輔にも特別な未来を見せていたから
洋輔が喜八へ向ける感情は、
ただの技術者同士の競争では収まりにくい。
喜八の発明を否定しながら、
完全に無視することもできない。
そこには清六という共通の人物がいる。
喜八は清六の弟。
しかも清六が昔から発想力を認め、
一緒に夢を実現しようとしていた相手だ。
洋輔からすれば、
清六との距離をどうしても意識せざるを得ない存在になる。
逆に喜八から見れば、
洋輔が兄について自分の知らないことを知っている。
「なぜ洋輔がそこまで目録を欲しがるのか」
「兄と洋輔はどこまで深くつながっていたのか」
物語が進むほど、
亡き兄を巡って二人の立場が交差していく。
ここでも清六の「人たらし」が顔を出す。
喜八だけを励まし、
喜八だけを特別扱いしていたのなら話は単純だった。
しかし清六は洋輔にも未来を語り、
その少年の中にも消えない熱を残してしまった。
しかも洋輔は、
清六がいなくなってからもその熱を捨てていない。
財閥の御曹司として現在の蒸気技術を発展させながら、
それでも二十世紀電氣目録を探し続ける。
現在を十分に持っている人物が、
過去の清六が示した未来だけは手放せない。
第7話「駆け落ち」でも、
喜八と稲子が滋賀の電氣目録を求めて逃げると、
洋輔はその後を追ってくる。
結納を抜け出した婚約者を追うというだけではなく、
その行き先には再び電氣目録がある。
稲子と目録、そして清六の過去が、
洋輔の中では複雑に絡み合っている。
第8話では、
スチュワート先生の書庫から、
清六が残していた別の電氣目録へ辿り着く。
喜八は健吾の話を聞き、
自分が知らなかった兄の過去へ触れる。
一方で物語の先には、
その目録を長く追ってきた洋輔が待っている。
清六が洋輔へ何を見せ、
二人がどこまで未来を共有していたのか。
その全貌はまだすべて表へ出てはいない。
ただ一つはっきりしているのは、
洋輔の現在をここまで動かしている中心に清六がいることだ。
喜八には、
自分の才能を信じる力を残した。
健吾には、
生涯簡単には消せない戦場の記憶を残した。
そして洋輔には、
何年経っても追いかけずにはいられない未来を残した。
清六はもう三人の前にはいない。
それなのに喜八は夢を取り戻し、
健吾は過去を語り、
洋輔は目録を追い続けている。
清六という一人の人物が、それぞれ違う形で三人の現在を動かしているのである。
第5章 清六は相手が自分でも気づいていない可能性を先に信じる
喜八の発想力を、まだ何も完成していない頃から認めていた
坂本清六の「人たらし」が強く見えるのは、
相手を褒める言葉が上手かったからではない。
まだ形になっていないものを見ても、
そこに未来があると本気で信じられる。
喜八との少年時代には、その性格が特によく表れている。
幼い喜八が二十世紀電氣目録へ書いていたのは、
すでに世間で使われている機械の改良案ばかりではない。
電氣によって暮らしを変える発明を思い描き、
まだ存在しない未来を紙の上へ書き込んでいく。
普通なら子供の空想として流されてもおかしくない。
しかし清六は、
弟の発想を「面白い夢」で終わらせなかった。
喜八なら実際に形にできると受け止め、
二人で電氣の時代を作ろうと語っていた。
喜八にとって、これは単なる兄からの励まし以上に大きかった。
清六がいなくなった後の喜八を見ると、
その支えがどれほど大きかったか逆に分かる。
兄と目録を同時に失った喜八は、
機械いじりを続けながらも、
自分の発明を未来へつなげる自信を持てなくなっていた。
ところが第3話で、
目録に残された清六の想いへ触れる。
さらに稲子からも、
自分の発明を信じてもらう。
そこで喜八は、失っていた「自分なら作れる」という感覚を少しずつ取り戻していく。
その変化が実際の行動として表れるのが、
第4話「信心の娘」。
電氣満月を実現した喜八は、
亡き夫への未練から塞ぎ込んでいる女性の話を聞く。
そこで今度は、自分の発明で誰かを助けようと動き始める。
第1話の喜八は、
兄と一緒に未来を夢見る少年だった。
第3話では、
兄の想いに触れて再び立ち上がる。
そして第4話では、
誰かの悲しみに対して自分の発明を使おうとするところまで進んでいる。
清六が喜八へ残したものが、
ここで一段先へ進んでいる。
「兄が信じてくれたから頑張る」だけではなく、
今度は喜八自身が、
誰かのために自分の力を使う側へ回り始める。
さらに第6話「革新の音」では、
洋輔の蒸気パイプオルガンに対して、
喜八が電氣の演奏で勝負する。
かつて自分の発想に自信を失っていた少年が、
大勢の人が集まる場所で堂々と電氣の可能性を示そうとする。
ここまで来ると、
清六が少年時代に見ていた喜八の姿が、
少しずつ現実になっていることが分かる。
清六は完成した喜八を評価していたのではない。
まだ臆病で、不器用で、何も成し遂げていない弟の中に、
この先の喜八を先に見ていた。
清六は人を自分の後ろへ従わせるのではなく、その人自身の道へ送り出していた
「人たらし」という言葉からは、
周囲の人間を次々と自分の味方へしていく人物を想像しやすい。
だが清六の場合、
喜八も健吾も洋輔も、
清六と同じ人物になったわけではない。
喜八は発明へ進む。
健吾は戦場を生き延び、
規子と共に新しい生活を築こうとしている。
洋輔は蒸気技術を極めながら、
二十世紀電氣目録を追い続けている。
三人はそれぞれ違う人生を選んでいる。
それでも、
その出発点や大きな転機を辿ると清六へ戻ってくる。
清六は相手を自分の価値観へ染めるのではなく、
その人物がもともと持っている力へ火を付けていたように見える。
だから相手によって残るものも違ってくる。
喜八には発想力があった。
清六はそこを見つけ、
「一緒に未来を作れる」と認めた。
健吾には健吾の強さと生き方があり、
洋輔には技術者としての才能がある。
清六はそれぞれに対して、別々の形で近づいていた。
第8話「兄の足跡」で、
喜八が清六の過去と真実へ触れた後、
最後に選ぶのも「兄の夢をそのまま再現すること」ではない。
稲子が自分の夢を諦めずに済むよう、
喜八自身が覚悟を決める。
ここが清六から喜八へ渡ったものの到達点でもある。
清六が生きていた頃、
喜八は兄から未来を見せてもらう側だった。
現在の喜八は、
稲子が未来を選べるように自分から動く側へ変わっている。
誰かを信じることは、
その人を自分のそばへ置いておくことではない。
自分がいなくても、
いつかその人自身が前へ進めるようになること。
清六の周囲に人が惹きつけられたのは、
そこまで相手を信じ切る強さがあったからなのだろう。
第6章 清六がいなくなった後、三人はまったく違う方向へ進んだ
喜八は夢を手放し、健吾は戦場を抱えたまま現在まで生きてきた
清六の存在がどれほど大きかったかは、
生きていた頃の姿だけでは分からない。
むしろ清六がいなくなった後、
残された人々がどう変わったかを見る方が鮮明になる。
喜八と健吾だけでも、その違いは大きい。
喜八は、
兄と二十世紀電氣目録を同時に失ったことで、
電氣の時代を作るという夢から離れてしまった。
機械を触ることはできても、
幼い頃のように未来を真っ直ぐ信じることができない。
清六の死は、喜八の時間そのものを止めていた。
第2話で電氣目録が再び現れても、
喜八はすぐには夢へ飛び込まない。
本物なのかを疑い、
自分にできるのかも疑う。
兄と一緒なら進めた道を、
一人で進むことへの怖さが残っている。
そこから稲子と出会い、
電氣満月を形にし、
第4話では人を救うための発明へ挑む。
第6話になると、
洋輔の蒸気パイプオルガンに対して、
電氣による演奏で真正面から勝負するところまで変わる。
喜八の場合、
清六を失ったことで一度夢から離れ、
清六の想いへ再び触れることで戻ってきた。
その歩みは、
兄の死を忘れることではなく、
兄がいない現在でも自分の未来を選び直す過程になっている。
一方の健吾は、
清六と同じ戦場から生きて帰った人物。
喜八とは違い、
清六が最後に過ごした時間に近い場所まで知っている。
そのため健吾に残ったものは、
失われた夢というより、生き残った側の記憶だった。
普段の健吾は豪快で、
「陸蒸気」と呼ばれるほどの腕力を見せる。
第7話では、
滋賀へ向かう喜八と稲子の行く手を阻み、
二人を簡単には通さない。
強さだけを見れば、過去を引きずる人物には見えにくい。
しかし第8話で清六の過去が明らかになると、
健吾の姿も違って見える。
喜八にとって遠い戦場の出来事を、
健吾は自分の人生として知っている。
清六が戻らず、自分は戻ってきたという事実を抱えながら、
現在まで生きてきた人物だった。
喜八は清六を失って立ち止まり、
健吾は清六を失った記憶を抱えながら歩き続けた。
同じ人物の死でも、
残された二人の人生にはまったく違う傷が残っている。
その違いが、第8話で初めて同じ場所へ集まっていく。
洋輔だけは清六が見せた未来を手放さず、電氣目録を追い続けている
そして三人の中でも、
最も異質なのが洋輔だ。
喜八が一度夢を諦め、
健吾が過去を胸の内へしまっていたのに対して、
洋輔は現在まで二十世紀電氣目録を追い続けている。
洋輔には、
すでに多くのものがある。
蒸気機関で財を成した三添商店の御曹司であり、
本人も優秀な技術者。
第6話では巨大な蒸気パイプオルガンを用意し、
大ホールの落成記念という華やかな舞台まで作り上げる。
現在の技術だけを見れば、
洋輔は十分に成功している。
それでも電氣目録を諦めない。
第2話では稲子との婚約まで絡めながら目録を追い、
手に入れたものが自分の求める内容ではないと知ると、
そこで終わらず別の目録を探し続ける。
第7話では、
結納の日に稲子と喜八が滋賀へ逃げ出す。
二人の行き先に別の電氣目録があると知ると、
洋輔もその後を追う。
婚約者を連れ戻すだけでは説明し切れないほど、
目録そのものへの執着が続いている。
第8話で喜八たちが辿り着くのは、
かつて清六たちを教えていたスチュワート先生のもと。
開かずの書庫には、
別の二十世紀電氣目録が隠されている。
そこへ到達するためにも、
清六が作った電氣の発明が関わってくる。
つまり洋輔が追い続けている先には、
何度進んでも清六がいる。
ただの古い本を探しているのではなく、
清六が残した未来を追いかけているような状態になっている。
現在の洋輔を動かすものが、過去の清六から切れていない。
ここで三人を並べると、
清六が残したものの違いがはっきりする。
喜八は一度失った夢を取り戻していく。
健吾は生き残った過去と向き合う。
洋輔は清六が見せた未来を、現在まで追い続けている。
同じ清六を知っていても、
誰一人として同じ人生にはならなかった。
それでも大きな選択を辿ると、
三人とも清六へ行き着く。
清六の強さは、人を同じ方向へ導いたことではない。
自分がいなくなった後にも、
喜八には夢を、
健吾には記憶を、
洋輔には追い続ける未来を残した。
その三つが現在で再び交差し始めたところに、
二十世紀電氣目録を巡る物語の大きなうねりが生まれている。
第7章 第8話「兄の足跡」で喜八はようやく清六の影から歩き出す
兄の足跡を追うだけだった喜八が、自分で未来を選ぶ側へ変わった
第8話「兄の足跡」で喜八が辿り着いたのは、
かつて清六たちを教えていたスチュワート先生のもとだった。
そこには長く閉ざされていた書庫があり、
清六が残した電氣の発明を使うことで、
喜八は兄の知らなかった時間へ近づいていく。
さらに書庫の中から現れたのは、
もう一冊の二十世紀電氣目録。
喜八が幼い頃から知っていた一冊だけではなく、
清六が別の場所にも目録を残していたことで、
兄が自分の知らないところでも未来を追い続けていたことが見えてくる。
そして健吾の口から、
清六と戦場で過ごした過去まで語られる。
喜八にとって清六は、
ずっと「戦争へ行って帰らなかった兄」だった。
しかし第8話では、その空白だった時間に具体的な景色が入り始める。
清六にも戦場で過ごした日々があり、
健吾と共にいた時間があり、
電氣目録を手放さずに未来を語っていた。
喜八が知らなかった兄の姿を、
生き残った健吾から受け取ることになる。
ここで清六は、記憶の中だけの兄から一人の人間へ変わっていく。
それまで喜八は、
清六が残したものを追いかけることで前へ進んできた。
二十世紀電氣目録を取り戻し、
兄が書き残した想いへ触れ、
昔二人で語った電氣の未来をもう一度思い出した。
だが第8話では、
ただ兄の続きを探すだけでは終わらない。
清六が何を残したのかを知ったうえで、
今度は喜八自身が何を選ぶのかが問われる。
そこで大きくなってくるのが稲子の存在だった。
稲子は喜八に、
兄の代わりになってほしいわけではない。
喜八の発明を信じ、
喜八自身が見ている未来を応援してきた。
だから喜八もまた、
稲子が自分の人生を選べるように動こうとする。
第7話「駆け落ち」から第8話へ続く流れでは、
稲子は洋輔との結婚を前にして揺れていた。
喜八自身も、
ただ稲子を連れて逃げ続ければよいわけではないと分かっている。
目の前には電氣目録があり、洋輔との対立も残っている。
そこで喜八は、
兄から受け取った夢を抱えたまま、
自分自身の判断で次の一歩を選ぼうとする。
少年時代の喜八なら、
清六が隣にいなければ決断できなかったかもしれない。
現在の喜八は、清六がいなくても誰かの未来のために動こうとしている。
ここに大きな変化がある。
清六の背中を追い続けていた弟が、
ようやく自分自身の背中を誰かに見せる側へ進み始めた。
第8話は清六の過去が判明する回であると同時に、
喜八が兄の影から一歩外へ出る回でもある。
「人たらし清六」が最後に残したのは、自分ではなく三人が進むための火種だった
清六の周囲には、
喜八、健吾、洋輔という三人が残った。
三人とも清六に強く惹かれ、
清六がいなくなった後も、
それぞれの人生のどこかに彼を抱え続けている。
喜八は、
兄と見た電氣の未来を失い、
一度は夢から離れた。
しかし稲子との出会いと電氣目録を通して、
今度は自分自身の発明として未来へ進み始める。
健吾は、
清六と同じ戦場を生きた。
自分は帰り、
清六は帰らなかった。
その記憶を長く抱えながらも、
現在では規子との新しい人生へ進もうとしている。
洋輔は、
三人の中で最も強く過去を追い続けている。
清六が語った未来と二十世紀電氣目録を手放せず、
財力も技術も持ちながら、
清六が残したものだけは現在まで追い続けている。
三人の姿を並べると、
清六の「人たらし」は単なる愛される性格ではないと分かる。
自分が中心に立って、
周囲の人間を従わせる人物ではなかった。
出会った相手の中へ何かを残し、その人物自身を動かしてしまう。
だから清六が亡くなっても、
物語は清六から離れない。
喜八が発明する時にも、
健吾が過去を語る時にも、
洋輔が電氣目録を追う時にも、
清六から受け取ったものが姿を見せる。
しかし物語が向かっているのは、
三人が永遠に清六を追い続ける場所ではない。
喜八は自分の未来へ進み、
健吾は生き残った人生を歩き、
洋輔もまた清六への執着の先で自分自身の選択を迫られていく。
清六が人を惹きつけたのは、
自分を忘れさせないためではなかった。
相手がまだ見えていない未来を先に信じ、
そこへ進めると本気で思っていたからだろう。
だから清六の言葉は、本人が消えた後になっても力を失わない。
第1話では、
喜八の中に残る「亡くなった兄」として始まった清六。
第8話まで来ると、
健吾の戦場、洋輔の執着、二十世紀電氣目録の秘密まで、
物語の重要な場所が次々と清六へつながっていく。
それでも最後に前へ進むのは清六ではない。
喜八であり、健吾であり、洋輔である。
坂本清六という「人たらし」が本当に残したものは、
自分を追わせる足跡ではなく、
残された人間が自分の足で次の時代へ進むための火種だったのである。


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