【リィンカーネーションの花弁】扇寺東耶はどんな主人公?|“無才”から始まるからこそ目が離せない

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扇寺東耶って、なんで主人公なのにこんなに引っかかるの? 最初から最強でも、選ばれた天才でもないのに、妙に目が離せない。兄に届かず、勉強も鍛錬も積んだのに決定打が見つからない、その痛みがずっと底に沈んでいるからです。しかも東耶は、そこで止まらず、才能そのものへ手を伸ばしてしまう。この記事では、無才から始まる東耶のしんどさと危うさ、石川五右衛門の力が噛み合う理由まで掘っていきます。

この記事を読むとわかること

  • 東耶が無才スタートだから刺さる理由
  • 兄との差と夜の戦いが東耶を壊す流れ!
  • 石川五右衛門の力が東耶に噛み合う核心

第1章 東耶は“無才”から始まる主人公

才能がない痛みが最初から前に出る

『リィンカーネーションの花弁』の主人公って聞くと、
最初はたぶん、すごい才能が眠ってる少年とか、
選ばれた側の人間とか、
そういう入り方を想像しやすい。

でも、扇寺東耶はそこがかなり違う。

この主人公、最初に前へ出てくるのは輝きじゃない。
欠けてる感じだ。
足りない感じだ。
どうしても届かない感じだ。

しかも、その足りなさを、
「まあ普通でいいじゃん」
で流せていない。

ここがまず刺さる。

東耶は、無才であることに劣等感を持っている。
しかもそれは、軽く沈んでいるレベルじゃない。
生活の底にずっと沈んでいるやつだ。

優秀な兄がいる。
周りはそっちを見る。
比べられる。
自分は届かない。

やってもやっても、
「はい、でも兄のほうが上ね」
みたいな空気が残る。

この地味で逃げ場のない圧が、
東耶の中にずっと溜まっている。

ここが土台になる。

しかも嫌なことに、
東耶は「何もしてない側」じゃない。

勉強もやってる。
鍛錬もやってる。
夜も削ってる。
全国模試でも上位に入るくらいには積み上げてる。

なのに、
それでも埋まらない。

ここが一番きつい。

頑張ってないなら諦めもつく。
でも、やってるのに届かないと、
逃げ場がなくなる。

この逃げ場のなさが、
東耶の中で「才能が欲しい」という欲に変わっていく。

ただの「強くなりたい」じゃない。
もっと生々しい。

奪ってでもいいから欲しい。
そのレベルまでいっている。

ここで、普通の主人公とズレる。

だからこそ、
東耶はただの成長型主人公にならない。

無才スタートなのに弱く見えないのは、
ここまでの圧を全部抱えたまま立っているからだ。

むしろ、
最初から何かを持っている主人公より、
よっぽど危うくて、
よっぽど先が読めない。

ここまで来ると、この作品の入口もはっきりする。

『リィンカーネーションの花弁』は、
天才が無双する話じゃない。

足りないことに耐えられなかった人間が、
そのまま前へ進んでしまう話だ。

だから最初に掴むべき核心はここになる。

扇寺東耶は、
無才だからこそ始まる主人公であり、
その欠けを抱えたまま、
才能という領域に食い込もうとする存在だ。

ここを最初に掴めると、
この先の展開が全部、違う温度で入ってくる。

第2章 兄との差が東耶を追い詰める

努力しても埋まらない差が欲しさに変わる

東耶のしんどさって、
一発の出来事じゃない。

積み重ねだ。

しかもかなり長い。

優秀な兄がいる家って、
それだけで空気が決まる。

何をしても比較される。
同じ土俵に乗せられる。
結果で見られる。

そしてだいたい負ける。

これが何度も続く。

テストの点。
運動の結果。
周囲の評価。
家族の視線。

一個一個は小さい。
でも、全部が積み重なる。

逃げ場がなくなる。

しかも東耶は、
そこで投げていない。

ここがまたきつい。

ちゃんと勉強する。
ちゃんと鍛える。
ちゃんと積み上げる。

夜遅くまで机に向かう。
身体も動かす。
結果もある程度は出す。

全国模試で上位に入るくらいには、
ちゃんとやっている。

でも、その先がある。

兄がいる。

この一枚上が、
どうしても埋まらない。

ここで普通なら、
「まあ仕方ないか」
ってなるか、
「もういいや」
って降りる。

でも東耶はそこに残る。

残ったまま、
ずっと見続ける。

この状態が続くと、
感情が変わる。

最初は悔しい。
次に焦る。
その次に、
どうしようもない感覚になる。

そして最後に、
形が変わる。

「欲しい」に変わる。

しかもそれは、
綺麗な願いじゃない。

あの位置が欲しい。
あの力が欲しい。
あの評価が欲しい。

だから、
才能そのものが欲しくなる。

ここで東耶は、
ただの努力型主人公から外れる。

努力して追いつく話じゃなくなる。

届かないから、
別の手を考え始める。

このズレが、
この作品のエンジンになる。

さらに悪いことに、
そのタイミングで東耶は“あの世界”に触れる。

灰都と出会う。
戦いを見る。
人を殺す力を見る。

普通なら、
怖い。
逃げる。
関わらない。

でも東耶は違う。

あの瞬間、
恐怖より先に来るのが、
羨望だ。

「なんであいつはあんな力を持ってるんだ」

この感情が出た時点で、
もう戻れない。

ここが決定的に危ない。

才能がある側に憧れるだけじゃない。
その力の質がどうであれ、
とにかく欲しい側に入ってしまう。

だから東耶は、
巻き込まれた主人公じゃない。

自分から踏み込んでいく主人公だ。

しかも、
足りなさを抱えたまま。

ここまで来ると、
第1章の結論がさらに濃くなる。

東耶が気になるのは、
強いからじゃない。

足りないまま、
欲しすぎるまま、
止まらないからだ。

この歪みがあるから、
この先の選択全部が、
普通の正解ルートから外れていく。

だからこの章で掴むべき核心はこれになる。

扇寺東耶は、
努力しても届かなかった時間を積み重ねた結果、
才能そのものに手を伸ばしてしまった主人公だ。

ここを押さえておくと、
灰都との関係も、
能力の発現も、
全部“選んで踏み込んだもの”として見えてくる。

第3章 東耶はちゃんと努力してきた

積み上げても決定打が見つからなかった

東耶のしんどさって、
ふわっとした劣等感じゃない。

ちゃんと元がある。

まず、
この主人公は勉強を投げていない。

学校が終わって終わりじゃない。
塾にも行く。
しかもそれで終わらず、
深夜まで勉強や鍛錬を続ける。

ここ、
かなり具体的だ。

「頑張ってるつもり」じゃない。
生活の時間を実際に削ってる。

しかも数字も出ている。

全国模試で毎回100位以内。

これ、
普通に見ればかなり優秀だ。

クラスでちょっと上とか、
その程度の話じゃない。
全国単位で上のほうにいる。

なのに、
東耶の中ではこれが救いになっていない。

なぜか。

兄がいるからだ。

東耶は、
天才の兄と比べられながら育ってきた。

だから、
自分の成績を見ても、
「やった」
で終われない。

上位に入っても、
兄の影が残る。
やっても、
まだ兄がいる。
積んでも、
まだ足りない。

この構図がずっと続く。

しかも原作側の説明だと、
東耶は幼少期から
かなり広く手を出している。

勉強だけじゃない。
習い事もやる。
いろんな分野を触る。
「これなら自分にもあるかもしれない」
と思えるものに、
そのつど手を伸ばしてきた。

でも、
どれも決め手にならない。

完全に何もできないわけじゃない。
そこそこはやれる。
でも、
「これが東耶だ」
と言えるところまで抜けない。

ここが痛い。

一個だけ苦手なら、
まだ割り切れる。
でも東耶は、
何個も触って、
何個も積んで、
そのたびに
“上には上がいる”
を食らってきた側だ。

だから、
才能への執着が濃くなる。

たとえば模試で上位に入って帰る日でも、
それで胸を張って終われない。
机に向かって、
点を取って、
順位を出して、
それでも家の中や自分の頭の中では
「兄ならもっと上」
が消えない。

努力が、
自己肯定につながらない。

ここが東耶の地獄だ。

しかも東耶は、
その状況で腐って寝ているわけでもない。

まだやる。
まだ積む。
まだ次を探す。

だから読んでる側も、
単純に
「ひねくれてるな」
で切れない。

むしろ逆で、
そこまでやって報われないのかよ、
が先に来る。

この下地があるから、
東耶は才能の話に異常なくらい敏感になる。

ただ強くなりたいわけじゃない。
ただ勝ちたいわけでもない。

自分の中に、
一発で世界の見え方を変えるものが欲しい。

兄と並べるもの。
比べられた時に引かないで済むもの。
「こいつにはこれがある」
と一目で言えるもの。

それが、
欲しい。

しかも、
かなり本気で。

要するにこの章で掴むべき核心はこれになる。

扇寺東耶は、
全国模試で上位に入るほど勉強し、
深夜まで鍛錬を続け、
幼少期から多くの習い事にも手を出してきた。
それでも兄という基準の前で
“自分の才”を掴めなかったから、
努力の延長ではなく、
才能そのものを欲しがるところまで追い詰められている。

ここが見えると、
次の夜の場面が、
ただのバトル導入じゃなくなる。

第4章 夜の戦いが東耶を変えた

灰都とフィッシュを見て才能へ踏み込む

東耶が本当に変わるのは、
塾帰りの夜だ。

場所も大事だ。

昼間の教室じゃない。
明るい場所でもない。
勉強を終えたあと、
夜の帰り道で、
東耶はクラスメイトの灰都と、
連続殺人の噂が渦巻く現場に触れる。

ここ、
かなりいやな入り方をする。

今日も勉強した。
今日も積んだ。
でも何も変わらない。

その延長で夜道を歩いていた東耶が、
そこで見るのが、
前世の才能を持つ者同士の殺し合いだ。

灰都は、
輪廻の枝で前世の才を引き出した廻り者だ。
しかも彼女が持つのは宮本武蔵の才。
細い体で立っているのに、
出す剣圧は明らかに普通じゃない。

対する相手は、
アルバート・H・フィッシュ。
偉人じゃない。
罪人の側だ。

ここがもう、
作品の入口としてかなり強い。

前世の才能って聞くと、
最初はどうしても
「偉人のすごい力」
を想像する。

でもこの場面で出てくるのは、
人を救う才能だけじゃない。
人を殺す異常さまで蘇るってことだ。

東耶は、
その現物を目の前で見る。

血が出る。
殺意がある。
灰都は首を切って力を引き出す。
フィッシュもまた、
人間の枠からズレた手つきで襲ってくる。

この光景、
普通なら怖い。

関わりたくない。
逃げたい。
見なかったことにしたい。

でも東耶はそこで、
完全に普通の反応をしない。

ここが決定的に危ない。

東耶の中で先に立つのが、
恐怖より羨望だからだ。

「なんであいつらにはそれがあるんだ」

この感情が先に来る。

目の前で人が死にかねない戦いを見て、
まず出るのがそれ。

だから東耶は、
巻き込まれ主人公じゃない。

元々あった渇きに、
この夜の光景が火をつけた。

そして東耶は、
輪廻の枝に手を伸ばす。

ここ、
かなり重い。

説明を聞いて、
安全を確かめて、
納得してから使うんじゃない。

自分の首を切る。

ためらいがゼロとは言わない。
でも、
止まらない。

だって東耶にとっては、
やっと目の前に
「努力では埋まらなかった差をひっくり返せるかもしれないもの」
が出てきたからだ。

この時の東耶って、
正義感で飛び込んだわけじゃない。
使命感でもない。
もっとむき出しだ。

欲しい。
だから行く。

この生々しさが、
主人公としてかなり強い。

しかも、
引き当てた前世がまたうまい。

東耶に宿ったのは、
石川五右衛門の“盗人の右腕”と“左腕”。

剣聖でもない。
軍神でもない。
誰が見てもまっすぐ強い看板じゃない。

盗む力だ。

物質をすり抜けて中身を盗る。
相手の才能すら盗める。
さらに盗んだものを自分で使うところまで行く。

これ、
東耶にめちゃくちゃ合ってる。

最初から持ってる主人公じゃなく、
欲しがってきた主人公だからだ。

勝つために生まれた力というより、
足りないものを奪って埋めるための力。

兄に届かなかった。
自分の才が見つからなかった。
だから他人の才を奪う。

この能力の付き方、
かなりえげつない。

でも、
だからこそ東耶の輪郭が一気に立つ。

灰都とフィッシュの戦いを見た夜、
東耶はただ非日常を知ったんじゃない。

自分の中にあった
「欲しい」
を、形ある行動に変えた。

首を切る。
前世を掘り起こす。
石川五右衛門を引く。
そして偉人の杜へ入っていく。

ここまで一気に進むから、
あの夜はただの第一話の事件じゃない。

東耶という主人公が、
後戻りできないところへ入った夜だ。

要するにこの章で掴むべき核心はこれになる。

扇寺東耶は、
灰都とフィッシュの戦いを見て
才能の恐ろしさを知った主人公であると同時に、
その恐ろしさごと羨んで、
自分の首を切ってでも手に入れようとした主人公だ。

だから東耶は、
受け身で流される主人公じゃない。
足りなさに焼かれた末に、
危ない力の側へ自分で踏み込んだ主人公なんだ。

第5章 石川五右衛門の力が噛み合う

“盗む力”が東耶の渇きに刺さる

東耶の能力って、
ここがかなりいやらしくて、
かなり面白い。

輪廻の枝で首を切って、
前世の才を引き当てた結果、
東耶に宿ったのは
石川五右衛門の
“盗人の右腕”と“盗人の左腕”。

ここ、
めちゃくちゃ大事だ。

もし東耶がここで、
誰が見てもわかりやすい
最強の剣とか、
最強の拳とか、
軍略とか、
天才頭脳を引いていたら、
話はもっとまっすぐになる。

でも東耶が引いたのは、
盗む力だ。

まず右腕。

この右腕、
ただ物をつかんで盗るんじゃない。

物質をすり抜ける。

壁の向こうにあるものでも取れる。
箱の中身だけでも抜ける。
壊さずに中身だけ奪う。
瓶を割らずに中のものだけ抜くみたいな、
かなりいやらしい取り方ができる。

しかもこれ、
物だけで終わらない。

才能まで盗める。
相手の中にある“その人の武器”を、
ごっそり抜ける。

さらに左腕。

右腕で盗んだものを、
左腕で自分のものとして使う。
これが“盗品行使”。

つまり東耶は、
自分の一個の才能で戦い抜く主人公じゃない。

他人の中にあるものを抜き、
持ち替え、
使い、
増やしていく主人公だ。

ここ、
作品全体の中でもかなり異質だ。

普通のバトルものの主人公って、
自分の中の力を鍛える。

でも東耶は違う。

自分の中に決定打がないからこそ、
外にある決定打へ手を伸ばす。

この構図が、
能力の形にそのまま出ている。

だから石川五右衛門って前世が、
東耶にめちゃくちゃ合ってる。

東耶は、
最初から持っている側じゃなかった。
兄のように、
「こいつにはこれがある」
と言われる側じゃなかった。

勉強しても、
鍛えても、
習い事をやっても、
最後の一個が見つからなかった。

そんな人間に渡るのが、
“盗む”力。

これはもう、
単なるバトルの都合じゃない。

東耶の人生の歪みそのものだ。

足りない。
だから欲しい。
欲しい。
だから盗る。

この流れが、
能力名の時点で完成している。

しかも東耶の能力って、
見た目も戦い方も、
かなり主人公らしくない。

正面から斬るわけじゃない。
拳で押し切るわけでもない。
相手の懐に入って、
相手の中身だけを抜く。

武器を抜く。
力を抜く。
才能を抜く。

正攻法じゃない。
綺麗でもない。
でも、
勝つためには理にかなっている。

東耶の性格にも合ってる。

兄に正面から並べなかった。
努力だけでは届かなかった。
なら、
届かない分を別のやり方で埋める。

それがそのまま戦い方になる。

ここ、
かなりえげつない。

しかも東耶は、
この力をただの便利能力で終わらせない。

原作が進むと、
東耶はヴラドの“串刺し公”、
舩坂弘の“不死の兵”、
柳生十兵衛の“一寸の極み”まで扱う側に入っていく。

つまり東耶の主人公性って、
一つの眩しい才を磨き抜く感じじゃない。

奪う。
抱える。
増える。
危うくなる。
それでも前へ進む。

この形なんだ。

だから東耶の能力が盗人なのは、
見た目の意外性だけじゃない。

兄に届かなかった時間。
自分だけの才が見つからなかった焦り。
他人の持つものに目が行ってしまう癖。
その全部が、
石川五右衛門の力に一気につながる。

要するにこの章で掴むべき核心はこれになる。

扇寺東耶の能力が“盗人”なのは、
単なる変化球じゃない。
「持っていないから、外にあるものへ手を伸ばす」
という東耶の生き方そのものが、
能力として形になった結果だ。

だからこの主人公は、
能力名まで含めてブレない。

第6章 東耶は綺麗すぎない主人公

欲しさを抱えたまま戦う危うさ

東耶って、
ここがかなり大きい。

最初から綺麗じゃない。

正義感だけで動いてる主人公なら、
もっとわかりやすい。

人を助けたい。
悪を倒したい。
守りたい。
そのために力を得る。

こういう順番なら、
かなり王道だ。

でも東耶は違う。

まず欲しいが先にある。

才能が欲しい。
兄に並べるものが欲しい。
自分だけの決定打が欲しい。

だから輪廻の枝に手を伸ばした。

ここ、
かなり生々しい。

しかもそのあとも、
東耶の戦い方はずっと
“盗む側”に寄っている。

第2話の初任務がわかりやすい。

偉人の杜に入った東耶は、
ノイマンから経験を積ませるつもりで
キラークラウンこと
ジョン・W・ゲイシーの討伐に回される。

ここで東耶がやるのが、
派手な勝ち方じゃない。

相手の能力そのものを盗む。

まずそこへ行く。

剣で圧倒するでもない。
気合いで押し切るでもない。
敵の中にある“持ち味”を抜く。

この発想、
かなりダーク寄りだ。

主人公の初仕事で見せる手が、
真正面のヒーロー的勝ち方じゃなく、
能力の根っこを奪う手口なんだ。

でも、
そこが東耶らしい。

東耶は、
まっすぐ持ってる側じゃなかった。
だから、
まっすぐ勝つ主人公にもなりきらない。

しかもこの先、
東耶の手札はどんどん増える。

ヴラドの“串刺し公”を盗る。
舩坂の“不死の兵”を抱える。
柳生十兵衛の“一寸の極み”まで使う。

これって見方を変えると、
かなり危ない。

敵の力も、
味方級の力も、
自分の中へ入れていける。

つまり東耶は、
成長すればするほど、
「お前はどこまで他人の力でできているんだ」
という不穏さも増していく。

ここが面白い。

普通の主人公なら、
強くなるほど安心感が出る。

でも東耶は違う。

強くなるほど、
危うさも増す。

盗んだ才能が増えるほど、
東耶の輪郭は濃くなるのに、
同時に
「このまま全部奪う側へ行ったらどうなる」
という怖さも出る。

だから気になる。

しかも東耶は、
ただの冷たい奪う機械でもない。

灰都みたいに完成した剣でもないし、
ノイマンみたいに俯瞰で回す頭でもない。
東耶はもっと生っぽい。

欲しい。
焦る。
飛び込む。
でも、
その場その場でちゃんと揺れる。

この揺れがあるから、
盗人の力を持っていても、
読者が完全に切らない。

危ない。
でも見ていたい。

この距離感になる。

東耶が善人すぎないのは事実だ。
最初にあるのは、
立派な理想より、
欠けを埋めたい欲のほうだ。

でも、
だからこそ温度が出る。

最初から完成したヒーローじゃない。
欠けてる。
濁ってる。
それでも前へ出る。

この順番だから、
東耶の一歩は毎回ちょっと重い。

何も迷わず正しい方へ行く主人公じゃない。
でも、
欲しさだけでも止まらない。

その中間にいる。

ここが、
東耶が主人公としてかなり強いところだ。

要するにこの章で掴むべき核心はこれになる。

扇寺東耶は、
最初から正義だけで走る綺麗な主人公じゃない。
才能が欲しいという濁った欲を持ったまま、
実際に盗む力で戦い、
それでも主人公の位置から落ちきらないから、
読んでいて妙に気になる。

この危うさがあるから、
東耶はただの王道主人公より、
ずっと引っかかる。

第7章 欠けたまま進むから強い

東耶は完成形ではなく止まらない主人公

ここまで見てくると、
扇寺東耶って、
かなり変わった主人公だとわかる。

最初から持ってる側じゃない。
選ばれて始まる側でもない。
周りから
「お前は特別だ」
と先に言われるタイプでもない。

むしろ逆だ。

兄と比べられる。
頑張っても決定打が出ない。
勉強しても、
鍛えても、
習い事をやっても、
どこかで
「まだ足りない」
が残る。

この主人公、
出発点がずっと苦い。

しかもその苦さを、
綺麗に昇華できていない。

ここが大事だ。

東耶は、
足りないことを受け入れて、
慎ましく生きるほうには行かない。

欲しい。
どうしても欲しい。
自分の中に、
兄に並べるものが欲しい。
人の視線を変えるものが欲しい。

この欲しさを抱えたまま、
灰都とフィッシュの戦いを見て、
輪廻の枝へ手を伸ばす。

つまり東耶は、
“無才を乗り越えた主人公”というより、
“無才に耐えきれず踏み込んだ主人公”なんだ。

ここがまず、
普通の主人公とズレる。

しかも引いた能力が、
石川五右衛門の
“盗人の右腕”“盗人の左腕”。

これがまた、
東耶の人生に噛み合いすぎている。

最初から自分の中に確かな一個がなかった。
だから外にあるものへ手を伸ばす。
足りないなら奪う。
奪ったものを使う。
さらに増やす。

この流れ、
能力バトルとして面白いだけじゃない。

東耶の人間性そのものだ。

だから東耶は、
能力と性格がちゃんとつながっている主人公になる。

ここ、
かなり強い。

たとえばもっと派手な主人公なら、
剣がすごい、
拳がすごい、
頭が切れる、
そのどれかで立てる。

でも東耶は、
一つの眩しい才能で立たない。

足りなさで立つ。
欲しさで立つ。
届かなさで立つ。
その結果として、
盗んだ才能の束で立っていく。

この形、
かなり異質だ。

しかも異質なだけじゃなく、
ちゃんと前へ進む形になっているのがうまい。

キラークラウンの討伐で、
相手の能力そのものを盗る。
その先では
ヴラドの“串刺し公”、
舩坂の“不死の兵”、
柳生十兵衛の“一寸の極み”まで抱える。

東耶は、
戦うたびに手札が増える。
でもそれは、
綺麗に覚醒していく感じじゃない。

抱え込んでいく感じだ。

他人の才を。
他人の重さを。
他人の生きた証を。
どんどん自分の中へ入れていく。

ここまで来ると、
東耶ってただ強くなる主人公じゃない。

他人の歴史を背負って重くなっていく主人公でもある。

それなのに、
根っこにあるのは、
最初のあの欠けだ。

兄に届かなかった。
自分だけの一個が見つからなかった。
無才という言葉が、
心の底に刺さったままだった。

この原点が消えないから、
東耶は強くなっても
“完成品”にならない。

そこがいい。

最初から完成してる主人公って、
ある意味で見やすい。

でも東耶は違う。

強くなる。
でも危うくなる。
能力は増える。
でも綺麗にはならない。
主人公として前へ出る。
でもずっと、
欲しさの色が残る。

だから気になる。

しかも東耶って、
完全な悪に落ちるわけでもない。

ここも大きい。

才能が欲しい。
だから盗む。
この流れだけ見れば、
かなり危ない側だ。

でも東耶は、
ただ奪う快楽だけで動いているわけじゃない。
灰都や偉人の杜と関わりながら、
戦いの中で自分の立ち位置を少しずつ作っていく。

この
“欲に寄り切らない”
感じがあるから、
主人公として踏みとどまる。

逆に言うと、
最初から綺麗な理想で立っていないぶん、
その踏みとどまりに毎回温度が出る。

ここがかなり大きい。

東耶がもし、
最初から立派で、
最初から自己犠牲で、
最初から正義感で動く主人公だったら、
ここまで引っかからない。

でも実際は違う。

羨む。
焦る。
欲しがる。
踏み込む。
盗む。
それでも前へ行く。

この順番だから、
東耶の一歩はいつも少し重い。

見てる側も、
ただ応援するだけじゃなく、
「こいつこの先どうなる」
がずっと残る。

だから東耶は、
ただの努力型主人公でもないし、
ただのダークヒーローでもない。

その間にいる。

何も持たないまま始まって、
欲しさを隠さず、
危ない力の側へ入り、
それでも物語の真ん中から落ちない。

この立ち方が、
扇寺東耶という主人公のいちばん強いところだ。

要するに最後に掴むべき核心はこれになる。

扇寺東耶は、
“無才”だったからこそ始まった主人公であり、
その足りなさを消せないまま、
他人の才能まで抱え込んで前へ出ていく主人公だ。

最初から完璧だったから強いんじゃない。
欠けたまま止まらないから強い。

だから東耶は、
主人公としてかなり気になる。

見ていて気持ちいいだけの主人公じゃない。
見ていて少し怖い。
でも、
だから目が離せない。

ここまで含めて、
扇寺東耶は
『リィンカーネーションの花弁』の主人公としてかなり強い。

この記事のまとめ

  • 東耶は最初から“持っている側”ではない主人公
  • 兄と比べられる積み重ねが欲しさを濁らせる
  • 全国模試上位でも埋まらない欠けが残っていた
  • 灰都とフィッシュの夜戦が東耶を決定的に変える
  • 恐怖より先に羨望が立つところがかなり危うい
  • 輪廻の枝へ自分から手を伸ばしたのが東耶の本質
  • 石川五右衛門の盗む力が人生の欠けと噛み合う
  • 強くなるほど危うさも増す主人公の温度
  • 欠けたまま止まらないから東耶は強く残る

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