【リィンカーネーションの花弁】偉人の杜とは何か|ジョン・V・ノイマンが束ねる組織の顔

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偉人の杜って、結局ただの味方組織なの? 作品を読んでいると、主人公が入る本部っぽく見えるのに、空気が妙に冷たい。任務がある。排斥がある。世界平和を掲げるのに、やっていることはかなり物騒。このズレがずっと残ります。この記事では、偉人の杜がなぜ“安心できる味方本部”で終わらないのか、ノイマンの合理、メンバーの役割分担、東耶が入ったことで見えてくる組織の怖さまで含めて、中身を掘っていきます。

この記事を読むとわかること

  • 偉人の杜が味方本部で終わらない理由
  • ノイマンが入ることで出る合理の冷たさ!
  • 東耶加入で見える組織戦の重たい構図

第1章 偉人の杜は作品の立ち位置が出る組織

ただの味方集団では終わらない

偉人の杜って聞くと、
最初はどうしても
「主人公が入る味方組織」
くらいで見やすい。

でも、
ここをそのまま通ると、
この作品の輪郭をかなり取り逃がす。

偉人の杜は、
ただ強い人が集まっている場所じゃない。

この組織を見ると、
『リィンカーネーションの花弁』が
単なる異能バトルではなく、
偉人の才をどう使うか、
罪人の才とどう向き合うか、
そしてその力を“世界平和”という言葉の下でどう運用するかまで抱えた作品だと見えてくる。

ここがまず大事だ。

東耶が輪廻の枝で才能を得たあと、
物語はそこで
「主人公覚醒、ここから無双」
に一直線では進まない。

ちゃんと組織の中へ入る。

しかも、
その入口がかなり具体的だ。

第2話で東耶は、
偉人の杜の司令塔である
ジョン・V・ノイマンから
最初の仕事を与えられる。

任務の中身は、
悪しき廻り者、
ジョン・W・ゲイシーの排斥。

ここでわかる。

偉人の杜って、
ただの居場所じゃない。

命令がある。
目的がある。
排除対象がある。
つまり、
ちゃんと動いている組織なんだ。

これ、
かなり大きい。

強キャラが何人か同じ陣営にいます、
では終わらない。
誰が指示を出して、
誰が動いて、
何を片づけるのかが決まっている。

しかもその目的が、
公式でもはっきり
“世界平和”
と置かれている。

ここがまた重い。

世界平和って、
綺麗な言葉だ。
でも、
やっていることは
悪しき廻り者の排斥だ。

このズレがもう、
作品の立ち位置そのものになっている。

言葉は大きい。
理想は立派。
でも実際の現場は、
森に潜む殺人鬼を追い、
才能を持った危険人物を処理しに行く話になる。

この温度差が、
偉人の杜の面白さだ。

たとえば東耶の最初の任務でも、
流れはかなり生っぽい。

学校へ灰都を迎えに行く。
体育館で稽古道具に囲まれて寝ている灰都を起こす。
そのままゲイシーが潜む森へ入る。

この時点で、
もう普通の学園ものじゃない。

制服の延長でいたはずの東耶が、
組織の命令で、
殺人鬼の排斥に向かっている。

ここで読者の目にも、
作品の重心がはっきり動く。

『リィンカーネーションの花弁』は、
才能を得て喜ぶ話じゃない。
才能を得た者たちが、
組織の論理の中で
どう使うか、
どう使わせるかまで含めた話なんだと見えてくる。

しかも偉人の杜って、
いかにも正義の味方っぽく見せるだけの組織じゃない。

悪しき才能を排する。
世界平和を掲げる。
司令塔が合理で動かす。
戦える者を現場へ送る。

この構図だけでもう、
かなり冷たい。

でも、
そこがいい。

ぬるくない。
正義の看板だけで済ませていない。

だから偉人の杜を見ると、
この作品が
「偉人の能力ってすごいね」
で終わる話じゃないとわかる。

すごい力がある。
だから使う。
でも、
その使い道には命令系統がある。
理念がある。
敵認定もある。
現場もある。

この全部があるから、
組織としてちゃんと重い。

要するにこの章で掴むべき核心はこれになる。

偉人の杜は、
主人公が所属する味方本部じゃない。
“世界平和”を掲げながら、
危険な才能を排し、
廻り者を運用していく組織だ。

だからこの組織が見えると、
『リィンカーネーションの花弁』の立ち位置も一気に見えてくる。

第2章 偉人の杜の目的が見えると作品の温度も変わる

世界平和と排斥が同時に並ぶ重さ

偉人の杜をちゃんと見ると、
この作品の温度ってかなり独特だとわかる。

なぜか。

掲げている言葉と、
やっていることが、
かなり強く並んでいるからだ。

表に出てくる看板は、
世界平和。

この言葉だけ切ると、
かなり立派だ。
むしろ綺麗すぎるくらいだ。

でも、
その内側で動いている現場は、
悪しき廻り者の排斥になる。

ここが重い。

守るための組織です、
で終わらない。
危険な存在は消しに行く。
そこまでやる。

つまり偉人の杜って、
優しい避難所でも、
天才たちのサロンでもない。

戦うための組織だ。

しかも相手は、
ただの犯罪者じゃない。

輪廻の枝で才能を得た、
危険な廻り者。

普通の警察や学校や家庭の枠では、
もう処理しきれない相手を、
同じく才能を持った側が処理しに行く。

この構図が、
作品全体の温度をかなり上げている。

東耶の初任務がわかりやすい。

ノイマンから命令が下る。
対象はゲイシー。
灰都を連れて現場へ向かう。
森に入る。

この流れ、
かなり事務的でもある。

昨日まで無才で苦しんでいた高校生が、
今日は組織の命令で
殺人鬼の排斥任務に入る。

ここ、
キツい。

でも、
このキツさがあるから、
偉人の杜はただの便利組織で終わらない。

読者はここで気づく。

この作品、
力を手に入れたら終わりじゃない。
そこから先の
“どこに属するか”
“誰の指示で動くか”
“何のために戦うか”
まで問われるんだと。

しかも偉人の杜の目的って、
単なる感情論じゃないところも強い。

ノイマンがまとめ役として立っている時点で、
この組織はかなり合理に寄っている。

小柄で車椅子に乗った外見、
でも中身は冷静沈着で、
仲間に指示を出す司令塔。

ここに
“頭脳で運営される組織”
の空気が出る。

熱血のリーダーが
「みんなで頑張ろう」
で回している組織ではない。
必要な人材を動かし、
必要な任務を振り、
危険人物を処理し、
全体を回していく。

この冷たさがある。

だから偉人の杜って、
見方によってはかなり怖い。

掲げているのは世界平和。
でも現場では排斥。
しかもそれを、
合理の頭脳が運用している。

ここに
『リィンカーネーションの花弁』らしいねじれがある。

さらにこの組織の中身も、
ただ派手な名前を並べただけじゃない。

ノイマンがいて、
アインシュタインがいて、
ニュートンがいて、
ナイチンゲールがいて、
柳生十兵衛がいて、
舩坂弘志がいる。

頭脳。
剣。
支援。
再生。
それぞれ役割が違う。

つまり偉人の杜は、
“有名人の博覧会”
じゃない。

戦うために、
考えるために、
支えるために、
ちゃんと役目が分かれている。

ここまで来ると、
この組織が作品の立ち位置を決めているのがよくわかる。

もし偉人の杜がなくて、
東耶と灰都だけで動く話なら、
もっと個人戦寄りになる。
でも実際は違う。

組織がある。
司令塔がいる。
理想がある。
排斥対象がいる。
現場に行く者がいる。

だからこの作品は、
主人公一人の成長譚に閉じない。

才能を持った者たちの社会、
その運用、
その危うさまで見えてくる。

要するにこの章で掴むべき核心はこれになる。

偉人の杜の目的を見れば、
『リィンカーネーションの花弁』が
ただの異能バトルではないとわかる。

世界平和を掲げながら、
危険な廻り者を排斥し、
合理的な司令塔の下で動く。
その組織の冷たさと重さが、
この作品の温度を決めている。

第3章 ノイマンがいるから組織になる

命令と計算で動いている場所

偉人の杜がただの集まりで終わらないのは、
ここが一番わかりやすい。

ジョン・V・ノイマンの存在だ。

この人物がいることで、
空気が一気に変わる。

まず見た目からズレている。

小柄。
車椅子。
年齢も若い。

でも、
この外見でやっていることが、
完全に司令塔だ。

仲間に指示を出す。
任務を振る。
状況を読む。
戦力を配置する。

しかもそのやり方が、
かなり合理寄りだ。

東耶が偉人の杜に入ったあと、
最初に受けるのが、
ゲイシー排斥の任務。

ここ、
かなり象徴的な場面だ。

東耶は、
ついさっきまで
無才に苦しんでいた高校生。

輪廻の枝で首を切って、
やっと能力を手に入れたばかり。

普通なら、
慣らしが入る。
様子見が入る。
軽い任務から始める。

でもノイマンは違う。

いきなり現場に出す。

対象は、
殺人鬼の才能を持った廻り者。

場所は森。
一般の枠から外れた危険地帯。

ここでわかる。

この組織、
優しくない。

育成機関でもない。
安全な場所でもない。

戦えるなら使う。
使えるなら現場に出す。

この判断の速さが、
ノイマンの色になる。

しかもこの人物、
ただ命令を出しているだけじゃない。

“予測している”

前世はフォン・ノイマン。
計算の天才。

作中でも、
未来をほぼ読み切るレベルの
予測演算を使う。

だから命令がブレない。

この任務をやればどうなるか。
誰がどこで動くか。
何が起きるか。

かなり先まで見た上で、
指示を出している。

つまり偉人の杜って、
気合いで動く組織じゃない。

計算で動く組織だ。

ここがかなり大きい。

さらにやばいのが、
このノイマン自身も
完全に自由じゃないこと。

原作を追うと、
ナイチンゲールの影響を受けていたことが明かされる。

つまり、
司令塔すら安全じゃない。

組織の中枢が、
他の才能に干渉される。

ここで一気に構造が重くなる。

命令を出す側も、
操られる可能性がある。

それでもなお、
組織は動いている。

この状態、
かなり危ない。

でもだからこそ、
リアルに見える。

完璧な正義組織じゃない。
完全に統制された軍でもない。

才能という不安定なものを、
無理やり運用している場所。

それが偉人の杜だ。

しかもノイマンって、
ただ冷たいだけのキャラでもない。

小さいと言われると怒る。
根に持つ。

こういう人間臭さが、
逆にこの合理的な役割と噛み合う。

完全な機械じゃない。
でも判断は機械に近い。

このバランスがあるから、
ノイマンがいるだけで、
偉人の杜は“組織”として成立する。

要するにこの章で掴むべき核心はこれになる。

偉人の杜が組織として機能しているのは、
ジョン・V・ノイマンという司令塔がいるからだ。

合理で動き、
予測で指示を出し、
人材を現場へ送り込む。

その一方で、
完全に安全でも自由でもない。

この歪みごと抱えて回っているのが、
この組織の本体だ。

第4章 メンバーの並びが組織の厚みを作る

能力の方向がバラバラで役割が噛み合う

偉人の杜が面白いのは、
ここもかなり大きい。

メンバーの並び。

ただ有名な名前を並べただけじゃない。

役割がちゃんと分かれている。

まず前線。

灰都。
宮本武蔵の剣。

ここは純粋な戦闘枠。

そして東耶。
石川五右衛門の“盗む力”。

これは前線にも出るが、
性質はかなり特殊。

相手の才能を奪う。
自分の手札を増やす。

普通の戦闘枠とは別の位置になる。

さらに舩坂弘。

“不死の兵”

撃たれても再生する。
倒れない。
前に出続ける。

これは完全に盾役だ。

前線で受け続ける存在。

そして後衛。

アインシュタイン。

“空間転移”

一瞬で場所を入れ替える。
遠距離から状況を変える。
戦場の配置そのものを動かす。

ニュートン。

“重力操作”

一定範囲内の重さを操る。
近づくだけで動きを止める。
圧をかける。

この二人、
戦闘の軸になる。

さらにナイチンゲール。

“治癒”

負傷した仲間を回復する。
戦線を維持する。

ここで気づく。

この組織、
ちゃんと戦える形になっている。

前に出る。
支える。
配置を変える。
耐える。
回復する。

全部ある。

しかもそれぞれが、
歴史上の人物の特徴とリンクしている。

剣。
重力。
空間。
医療。
不死。

バラバラなのに、
役割としては噛み合う。

だから偉人の杜って、
ただのキャラの集まりじゃなく、
“戦闘単位”として成立している。

ここがかなり重要だ。

たとえばウラド戦。

単体では対処が難しい相手。

でも偉人の杜は、
複数人で動く。

前に出る者がいて、
支える者がいて、
状況を操作する者がいる。

だから戦いが成立する。

さらに東耶の能力が入ることで、
ここにもう一層ねじれが入る。

仲間の能力すら盗める可能性。

つまりこの組織って、
外からだけじゃなく、
内側からも崩れるリスクを抱えている。

ここが怖い。

仲間同士で完結する安全なチームじゃない。

能力の性質上、
裏切りや奪取の余地が常にある。

それでも組織として回っている。

この不安定さが、
偉人の杜の面白さになる。

さらにメンバー同士の関係も、
単純な仲良しでは終わらない。

アインシュタインは東耶に敵意を向ける。
ニュートンは途中で洗脳される。
ナイチンゲールは裏で動く。

内部でも歪みが出る。

つまり偉人の杜って、
外敵と戦うだけの組織じゃない。

中も揺れる。

でもその状態で、
戦い続ける。

ここまで来ると、
この組織がただの味方拠点じゃないのがよくわかる。

要するにこの章で掴むべき核心はこれになる。

偉人の杜は、
有名人を並べたチームじゃない。

役割が分かれ、
能力が噛み合い、
それでも内側に不安定さを抱えたまま動く戦闘組織だ。

だからこの組織を見ると、
この作品の戦いがどれだけ複雑かまで見えてくる。

第5章 東耶が入ることで組織の見え方が変わる

主人公一人の話が集団の話へ広がる

東耶が偉人の杜に入る場面って、
かなり大事だ。

ここで作品の重心が変わる。

それまでは、
東耶の話だった。

兄と比べられる。
勉強しても届かない。
無才に焼かれる。
灰都と出会う。
輪廻の枝に手を伸ばす。

ここまでは、
かなり個人の痛みで進む。

でも偉人の杜に入った瞬間、
その痛みが
“組織の中でどう扱われるか”
の話になる。

ここが大きい。

東耶は石川五右衛門の才を引く。

盗む力。

しかも最初は、
周りから見ても
そこまでわかりやすく強くない。

剣豪でもない。
軍神でもない。
頭脳でもない。
見栄えだけなら、
かなり微妙だ。

だから東耶自身も、
最初は完全に満足できていない。

でも偉人の杜へ入ると、
その能力が
“組織の中でどこに置かれるか”
が見え始める。

ここが重要だ。

個人で見れば、
盗む力はかなり危うい。
でも組織で見れば、
相手の能力を奪える可能性を持つ。

つまり、
単純な攻撃力では測れない。

だから東耶が偉人の杜に入ると、
作品の見え方が変わる。

主人公が強くなるかどうかだけじゃない。
この能力を組織がどう使うか、
逆にどう警戒するか、
そこまで見えてくる。

実際、
ノイマンはかなり早い段階で
東耶を全面的には信用していない。

原作側でも、
東耶に対してスパイ容疑をかけ、
舩坂に監視を命じている流れがある。

ここ、
かなり大きい。

味方組織に入ったから即仲間、
では終わらない。

東耶の能力は便利だ。
でも同時に危険だ。
だから見張る。

この判断がもう、
偉人の杜らしい。

人情だけで受け入れない。
ちゃんと能力の性質まで見る。

そして東耶の側もまた、
完全に善良な新入りじゃない。

これがまた効いてる。

東耶は、
最初から仲間意識だけで動いていない。

原作を追うと、
東耶は偉人の杜の仲間たちの才能すら、
いつか奪ってやろうと考えている。

ここ、
かなりえぐい。

でも、
だから面白い。

主人公が組織に入った瞬間、
ただ守られる側になるんじゃない。
組織に利用価値を見られ、
自分もまた組織の中の才能を値踏みしている。

この双方向の緊張がある。

だから東耶の加入は、
青春の仲間集めでは終わらない。

能力の社会化だ。

自分だけの苦しみだった
“才能が欲しい”
が、
組織の中では
“その才能をどこに置くか”
へ変わる。

これで作品が一段広がる。

しかも東耶って、
偉人の杜に入ったことで
初めて自分の能力の本当の異質さに触れていく。

ゲイシーとの実戦で、
相手の能力そのものを盗めるとわかる。
さらにその先で、
ウラドの“串刺し公”を奪う。
そして左腕で盗んだ能力を使う。

ここで一気に、
東耶は
“ただの新入り”
から外れる。

組織にとって、
放っておけない存在になる。

つまり東耶の加入って、
主人公が仲間を得る場面であると同時に、
偉人の杜の中に
“味方にもなりうるし、将来的にはかなり危うい存在にもなりうる駒”
が入ってくる場面でもある。

ここが面白い。

だから偉人の杜を見るとき、
東耶の加入はかなり重要だ。

主人公の視点があるから、
読者は組織の中へ入れる。
でも入ってみると、
そこは優しい受け皿じゃない。

使えるなら使う。
危ないなら警戒する。
必要なら見張る。

この空気が見える。

要するにこの章で掴むべき核心はこれになる。

東耶が偉人の杜に入ることで、
『リィンカーネーションの花弁』は
個人の劣等感の話から、
才能をどう運用し、どう警戒し、どう組織に組み込むかの話へ広がる。

だから東耶の加入は、
単なる仲間入りじゃない。
作品全体の見え方が変わる転換点だ。

第6章 敵側と並べると偉人の杜の色がもっと出る

同じ輪廻の枝でも向いている先が違う

偉人の杜をちゃんと見るなら、
敵側と並べるのが早い。

ここで一気に輪郭が出る。

この作品って、
輪廻の枝を使うのが
偉人の杜だけじゃない。

罪人軍もいる。
悪しき廻り者もいる。

つまり、
同じ仕組みを使っていても、
立っている場所が違う。

ここが大事だ。

偉人の杜は、
悪しき才能を排する側に立つ。
世界平和を掲げる。
ノイマンの指揮で動く。

一方で敵側は、
同じように前世の才を引き出しながら、
もっとむき出しに使う。

ゲイシーがわかりやすい。

キラークラウン。
森に潜む殺人鬼。
道化の曲芸を殺人術に変えた才能。

ここにはもう、
“何のために使うか”の差がはっきり出る。

同じ輪廻の枝でも、
片方は排斥対象になる。

つまり作品は、
力そのものより、
その向け方を見ている。

ここがかなり大きい。

さらに項羽率いる罪人軍まで視野に入ると、
偉人の杜の色はもっと濃くなる。

偉人の杜は、
悪しき才能を排する側。
罪人軍は、
武の頂点を持つ項羽の下で動く側。

この対立があるから、
偉人の杜は単なる主人公側じゃなく、
思想を持った陣営として見えてくる。

しかもこの対立って、
善悪の一言では切れない。

ここがまたこの作品らしい。

たしかに偉人の杜は
世界平和を掲げている。
でも現場でやっているのは排斥だ。
管理だ。
監視だ。

一方で敵側は危険だが、
力の使い方がむき出しなぶん、
ある意味ではわかりやすい。

この構図があるから、
偉人の杜の立場もただ綺麗には見えない。

たとえばノイマンの指示一つ取ってもそうだ。

東耶に任務を与える。
ゲイシーを排する。
必要なら危ない新入りも使う。

これは正義の顔だけではない。
かなり合理だ。

でも敵側もまた、
その合理を許してくれない。

同じように才能を持ち、
同じように殺しに来る。

だから偉人の杜は、
理想だけでは持たない。

戦わないと潰れる。

ここでこの組織の色がもっと出る。

守るために戦う、
なんて綺麗な言い方だけでは足りない。
実際には、
才能を持つ危険人物と同じ土俵で、
もっと危険な判断を積み重ねていく必要がある。

この温度が、
敵側と並べるとよくわかる。

しかも東耶の存在がここに入ると、
さらにややこしくなる。

東耶の能力は盗む力。
味方の能力すら奪いうる。
つまり東耶自身も、
使い方を間違えれば
敵側へ滑る可能性を持っている。

ここが怖い。

偉人の杜は、
敵を排する組織。
でも内部にも、
敵になりうる種を抱えている。

この状態で戦っている。

だから緊張が切れない。

敵と味方が
能力の有無で分かれているんじゃない。
同じ仕組みを共有した上で、
どっちへ向けるかで分かれている。

ここがこの作品の組織戦を、
かなり面白くしている。

要するにこの章で掴むべき核心はこれになる。

偉人の杜の色は、
敵側と並べたときに一番はっきり出る。

同じ輪廻の枝を使いながら、
片方は世界平和を掲げて排斥へ向かい、
片方はむき出しの力として振るう。

その差と歪みがあるから、
偉人の杜はただの主人公側組織では終わらない。

第7章 偉人の杜は作品の重さを背負う場所

味方本部では終わらない組織

ここまで見てくると、
偉人の杜って、
ただの味方組織じゃないとかなりはっきりする。

この言い方、
かなり大事だ。

主人公が所属する。
仲間が集まる。
任務がある。
司令塔がいる。

ここだけ切ると、
よくあるバトルものの本部に見える。

でも実際は、
そこでは終わらない。

偉人の杜は、
この作品の考え方そのものが出る場所だ。

まず掲げているのが、
世界平和。

かなり大きい言葉だ。
綺麗にも聞こえる。
正しい看板にも見える。

でもその内側でやっていることは、
悪しき廻り者の排斥になる。

ここが重い。

守るために戦う、
くらいの柔らかさじゃない。
必要なら消しに行く。
危険な才能は処理する。
そのために同じく才能を持つ者たちを動かす。

この時点でもう、
ただの正義の味方ではない。

しかもそれを回しているのが、
ノイマンだ。

車椅子の小柄な司令塔。
冷静沈着。
合理で動く。
予測で先を読む。

この人物がいることで、
偉人の杜は感情で動く集団じゃなくなる。

熱血のノリで、
みんなで力を合わせよう、
では回っていない。

誰を出すか。
誰を使うか。
誰を監視するか。
どこで切るか。

そういう判断で動いている。

だからこの組織、
かなり冷たい。

でも、
その冷たさがあるからこそ、
現実味が出る。

さらに厄介なのが、
中も安全じゃないことだ。

アインシュタインは東耶を警戒する。
ニュートンは後に揺れる。
ナイチンゲールは裏から組織を食っていく。
東耶自身も、
仲間の才能を奪いうる存在だ。

つまり偉人の杜って、
外敵と戦うだけの綺麗な砦じゃない。

内側にも歪みがある。
疑いがある。
洗脳すらある。
能力の性質そのものが、
組織を不安定にしている。

この状態で、
なお動いている。

ここがかなりすごい。

普通なら壊れる。
でも壊れきらない。
なぜなら、
この組織は理想だけじゃなく、
戦う必要でつながっているからだ。

しかもメンバーの並びも、
ただ派手なだけじゃない。

灰都の剣。
東耶の盗み。
舩坂の不死。
アインの空間転移。
ニュートンの重力。
ナイチンゲールの治癒。
そこにノイマンの予測演算が乗る。

前に出る者。
支える者。
状況を変える者。
耐える者。
治す者。
指示する者。

全部ある。

だから偉人の杜は、
名前の並びが豪華なだけの場所じゃない。
ちゃんと戦闘組織として成立している。

でも同時に、
思想の組織でもある。

ここがさらに重要だ。

偉人の才をどう使うか。
罪人の才をどう扱うか。
世界平和のためなら、
どこまで合理を押し通すか。

その答えが、
メンバー全員で一枚岩とは限らない。

だからぶつかる。
揺れる。
疑問が出る。
離反も起こる。

この揺れごと含めて、
偉人の杜が
『リィンカーネーションの花弁』
の重さを背負っている。

もしこの組織がただの便利な味方本部なら、
物語はもっと軽くなる。

東耶が強くなる。
仲間が増える。
敵を倒す。
それで回る。

でも実際は違う。

東耶が入ることで、
才能は個人の希望じゃなく、
組織の資源にもなる。
ノイマンがいることで、
理想は命令に変わる。
敵側がいることで、
同じ輪廻の枝でも向いている先の差が問われる。
内部が揺れることで、
味方ですら安全地帯ではないとわかる。

この全部が、
偉人の杜に集まっている。

だからこの組織を見れば、
作品の立ち位置が見える。

異能バトル。
それだけじゃない。

才能の管理。
才能の排斥。
合理と理想のねじれ。
味方内部の不安定さ。
同じ仕組みを持つ者同士の思想の衝突。

この重たい要素が、
偉人の杜に全部乗っている。

要するに最後に掴むべき核心はこれになる。

偉人の杜は、
主人公が所属する味方本部では終わらない。
世界平和を掲げながら、
危険な才能を排し、
合理で人材を動かし、
内部の歪みまで抱えたまま戦い続ける組織だ。

だから偉人の杜が見えると、
『リィンカーネーションの花弁』が
ただの能力バトルではなく、
かなり重い組織戦の作品だとわかってくる。

ここまで含めて、
偉人の杜は
この作品の重さを背負う場所になっている。

この記事のまとめ

  • 偉人の杜は世界平和と排斥を同時に抱える組織
  • ノイマンがいることで感情より合理が前に出る
  • ゲイシー排斥任務で組織の冷たさがはっきり出る
  • メンバーの役割分担が戦闘組織としてかなり厚い
  • 灰都、東耶、舩坂、支援組まで噛み合っている
  • 東耶加入で個人戦から組織戦へ重心が変わる
  • 味方内部にも監視と警戒が走り安全地帯がない
  • 敵側と並べると偉人の杜の思想の色が濃く出る
  • この組織が作品全体の重さを背負っている

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