「フリーレン2期、アニオリ入ってる?」って、気になって検索しちゃった?わかる。原作読んでても「え、こんな場面あったっけ?」ってなる瞬間あるし、未読ならなおさら「改変?」ってソワるよね。
でもさ、ここで小さな違和感が出てくる。2期って“出来事”はだいたい同じ流れなのに、見終わったあとだけ妙に胸がきゅっとする回が増えてない?セリフは増えてないのに、返事の前の無音とか、目線のズレとか、歩く音とか、そういう数秒で刺してくるやつ。
これ、アニオリなのか、ただの演出なのか──どっちで見るかで見え方が変わる。だから結論を急ぐ前に、「何が増えて」「どこが変わって見えたのか」を一回整理しないと判断できない。続きを読めば、迷いがスッと消える。
この記事を読むとわかること
- 通し32話までのアニオリの正体──改変じゃなく補完!
- 「改変っぽい」を見分ける3点チェック──順番・結果・知識
- 刺さった追加の拾い方──沈黙・視線・生活音の効きどころ
〖じわる〗通し32話まで見てわかった「アニオリの正体」──改変じゃなく、余韻を足して刺すタイプ
前提:2期は29話スタート、いま32話まで来た状態
まず前提ね。いま通し32話ってことは、2期は29話から始まって、29・30・31・32まで来た状態。
ここまで見た体感で言うと、「原作の出来事を別ルートに変える」みたいなド派手な改変は、今のところ目立たない。
でも“アニオリっぽい”って感じる瞬間は確実に増えてる。
じゃあ何が増えてるかっていうと、いちばん近い言い方はこれ。
「原作のコマとコマの間に、空気を詰める時間が足されてる」。
29話の例:説明じゃなく「沈黙」で焦りと気まずさを積む
たとえば29話「じゃあ行こうか」。
旅が再開して、道中で穴に落ちて、封魔鉱が一面にある場所で魔法が使えなくなる。
ここ、筋だけ追うなら「落ちた・魔法封じ・道探す・魔物が来る」で終わりなんだけど、
アニメは“落ちた後の気まずさ”とか、“魔法が使えない瞬間の焦り”を、短い沈黙で積む。
フェルンの顔がちょっと固くなるとか、シュタルクが言葉を選ぶとか、そういう小さいところ。
説明で足すんじゃなくて、見せる時間で足す。
それがフリーレンの「じわる」方向と相性良すぎて、刺さる。
32話の例:デートの照れ→北部高原の冷たさ、余韻で温度が変わる
で、32話「誰かの故郷」。
前半はフェルンとシュタルクのデートで、後半は温泉地エトヴァスに行くのに、村がもう廃れてて、山奥の秘湯の話を聞いて動く流れ。
ここも筋だけなら、わりとサクサク進むのに、
アニメは“デートの照れ”を説明しないで、間と視線で積む。
「今それ言う?」ってタイミングで、たった一言が重くなる瞬間があって、胸がきゅっとする。
そして後半、北部高原の空気の冷たさに入ると、同じ旅なのに温度が急に落ちる。
この切り替えがうまくて、余韻が残る。
これ、改変じゃない。補完。
原作の骨は同じなのに、心に刺さる角度をちょっと変えてくるやつ。
あと、2期はスタッフ面の話も出てる。
監督が変わった、って情報が表に出てるから、ここで色が変わる可能性はある。
ただ、色が変わるって言っても「別の話になる」じゃなくて、
「間の置き方」「戦闘の見せ方」「生活感の出し方」がちょっとずつ違う、みたいな変化になりやすい。
だから、今の段階の言い方はこれで固定。
2期の“アニオリ”は、筋を変えるためじゃなくて、余韻を増やして刺すために入ってる。
そして通し32話まで見る限り、その方向での追加はむしろ上手い。
最後にもう一回、感情の話に戻す。
フリーレンって、派手に泣かせるより、「泣くつもりないのに泣く」を狙ってくる作品じゃん。
だから、追加があるなら、叫ぶ方向じゃなくて、静かに心を削る方向になる。
今の2期は、まさにその手触り。
じわるのが増えてる。沁みるのが増えてる。
それが“アニオリっぽさ”の正体だと思う。
〖今の一言なに?〗“改変っぽく見える”瞬間の正体──順番は同じでも、間と視線で意味が変わる
SNSの「アニオリ入った!」は2種類ある
ここ、いちばん誤解が起きやすい。
SNSで「アニオリ入った!」って言われる時って、実は二種類混ざってるんだよね。
ひとつは本当に原作にない出来事が足されたやつ。
もうひとつは、原作にある出来事なのに、アニメの“置き方”が違って、別物に見えるやつ。
フリーレンで多いのは、たぶん後者。
順番は同じ、結果も同じ。
でも「今の一言なに?」ってなるくらい、刺さり方が変わる。
デート回:筋に関係ない「数秒」が感情に直結する
たとえば、デート回の空気。
原作でもデートはデートなんだけど、アニメは“二人のぎこちなさ”を、短い沈黙で何回も見せる。
フェルンが目線を逸らす。
シュタルクが妙にまっすぐ見ない。
会話が続かない数秒がある。
この数秒、筋には関係ないのに、感情には直結する。
「距離が近いのに遠い」って感覚が、ここで生まれる。
これが補完の強さ。
説明が増えるんじゃなくて、間が増える。
温泉地エトヴァス:音の静けさで、寂しさを言わずに刺す
で、後半の温泉地エトヴァス。
「温泉」って単語だけなら回復イベントっぽいのに、行ってみたら廃れてる。
このギャップって、フリーレンらしい切なさの刺し方なんだけど、
アニメはそこに“音の静けさ”を乗せる。
風の音とか、足音とか、ああいうのがやたら効く。
セリフで「寂しい」って言わないのに、こっちが勝手に寂しくなる。
これ、原作を読んでても刺さるけど、アニメだと刺さり方が別方向になる。
「余韻が残る」ってこういうやつ。
じゃあ、どこからが“改変”なのか。
ここをシンプルにするなら、見るポイントは3つで足りる。
順番が変わったか。
結果が変わったか。
誰が何を知ってるかが変わったか。
これが動いてなければ、だいたいは補完か演出増し。
逆にここが動いてたら、改変寄りの可能性が上がる。
通し32話までだと、少なくとも「別ルートに曲げた」感触は薄い。
だから、改変を探してピリピリするより、
「どこが増えて刺さった?」を拾うほうが楽しいと思う。
たとえば、デートのどの間が沁みたか。
どの視線が語ってたか。
廃れた温泉地の“静けさ”で、どこがしんと来たか。
そこを拾うと、2期のアニオリ(補完)の良さが見えやすい。
あと、これも大事。
フリーレンで「説明セリフ増やすアニオリ」ってやると、作品の温度が上がりすぎてズレやすい。
でも今の2期は、そこをやらずに「沈黙」「視線」「生活音」で押してくる。
だから、刺さる人には刺さるやつ、になってる。
俺はこの方向、かなり好き。
胸がきゅっとするのに、うるさくない。
泣くつもりないのに泣く、の前段だけを丁寧に増やしてくる。
それが“改変っぽく見える補完”の正体だと思う。
〖空気が澄んでる〗2期で増えた“静けさの作り方”──生活音と歩幅で感情を運ぶ
2期の「増えた感」は派手さじゃなく、空気の運び方
わかる? 2期ってさ、派手な追加より先に「空気の運び方」が増えてない?
俺これ、通し32話(2期4話)まで見て、いちばん“アニオリっぽい”って感じたところなんだよね。
でもこれ、改変じゃない。筋を変えるんじゃない。
「同じ出来事なのに、心の触れ方が変わる」やつ。
その正体が、生活音と歩幅と沈黙。これがマジで効いてる。
なんでこんなに刺さる?ってなる理由、単純でさ。
フリーレンって、説明で泣かせないじゃん。
「悲しいから泣いて」って言わない。
代わりに「言わない時間」を置く。
その時間にこっちが勝手に思い出しちゃう。
だからアニメ側で増やすなら、セリフを増やすより「言わない時間」を増やすほうが強い。
2期はそこをちゃんと分かってる感じがする。
移動・宿・食器の音:省略されがちな部分が「心の地面」になる
具体的に言うと、2期の序盤(29〜32)って、旅の“移動”がやたら丁寧なんだよ。
歩くテンポが一定。
荷物の揺れが小さい。
宿での音が静か。
食器の音が薄い。
返事までがワンテンポ遅い。
こういうの、原作のコマだと「省略されがち」な部分じゃん。
でもアニメは、そこを拾って「心が落ち着く場所」を作る。
それが回復みたいに効いて、次の“影”が来たときに刺さりが増す。
でさ、通し32話「誰かの故郷」まさにこれ。公式のストーリーでも、前半はフェルンとシュタルクのデート、後半は温泉地エトヴァスの話と北部高原に入る流れが書かれてる。
筋だけなら「デート→温泉地→秘湯の情報→移動」なんだけど、アニメはその間の“空気”を詰める。
デートの場面って、会話量より「間」が主役なんだよな。
たぶん原作で読んでても照れるのに、アニメだとさらに照れる。
フェルンが言い切らない。
シュタルクが言い切れない。
目が合って、合わなくて、また合う。
こういうの、セリフを足して説明すると台無しじゃん?
でも足さない。
代わりに「間が長いのに目が離せない」をやる。
それで胸がきゅっとする。
泣くつもりないのに泣く予感だけ、静かに置いてくる。
北部高原:澄んでるのに怖い、温度差で刺す
ここで疑問。
「それってアニオリなの? ただの演出じゃん?」ってなるよね。
でも、この作品だと“ただの演出”がいちばん重要なんだよ。
原作の面白さって、出来事の派手さより、余韻の残り方で勝ってる。
だから、余韻を増やす=中身を増やす、になっちゃう。
ここがフリーレンのズルいところ。
情報を増やさなくても、感情の情報量が増える。
あと、生活音の使い方。
2期は、町の音が静かに聞こえる場面が多い。
人がいるのに騒がしくない。
宿に入った時に「安心する」空気がある。
その安心があるから、次に空気が冷えた時の落差がヤバい。
「温度が低いのにあったかい」から、「温度が低いまま冷たい」に落ちる。
この落差、刺さる人には刺さるやつ。
で、北部高原に入るとき。
あそこも同じ。
セリフで「寒い」とか言い過ぎないのに、音が薄くて、景色が広くて、こっちが勝手に寒くなる。
距離が近いのに遠い。
空気が澄んでる。
澄んでるのに、怖い。
この矛盾が、フリーレンの“影”なんだよな。
つまり2期のアニオリ(補完)って、
「追加の事件」を起こすんじゃなくて、
「事件が起きる前の、心の地面」を整える作業なんだと思う。
地面が整うと、ちょっとした一言が重い。
ちょっとした沈黙が長い。
視線が語ってる。
背中で泣かせる。
通し32話まで見て、これが一番増えてる。
じわるの量が増えてる。
沁みるの速度が上がってる。
そして、静かに心を削る。
うん、最高にフリーレンだわ。
〖心臓に悪い〗戦闘の盛り方が「強さ」より「怖さ」寄り──追加カットが後味を変える
勝ってスカッと、じゃない。「強いから怖い」が先に来る
次これ。
フリーレンの戦闘って、普通のバトル物の気持ちよさと違うじゃん。
勝ってスカッと、じゃなくて、勝っても心が落ち着かない時がある。
理由はシンプルで、「強いから勝つ」より「強いから怖い」が先に来るから。
2期の戦闘(というか危機場面)、そこがさらに濃くなってない?
俺、ここが“演出増し=補完”としてめちゃくちゃ効いてると思う。
追加カットが足してるのは派手さじゃなく「状況の圧」
なんで怖さが増えるか。
追加カットが「技の派手さ」じゃなくて、「状況の圧」を足してるから。
あのさ、アニメって足そうと思えば、魔法をピカピカさせて盛れるじゃん。
でもフリーレンがやる盛り方って逆で、
「静かなまま圧を上げる」方向に寄る。
音を増やすんじゃなくて、逆に音を引いて、目と間で殴る。
心臓に悪い。
2期の序盤って、具体的には「魔法が使えない」「逃げ道が少ない」「地形がやばい」みたいな場面が来る。
この“制限”があると、戦闘が派手になりすぎない。
派手になりすぎない代わりに、「詰みの感じ」が強くなる。
詰みってさ、叫び声より、静けさのほうが怖いんだよ。
こっちが息を吸えない時間が続くから。
だからフリーレンの戦闘は、盛られるほど怖くなる。
勝った後まで残る後味が、次の“あったかさ”を救いに変える
で、ここでも疑問。
「それって改変じゃなくて、ただの戦闘作画のサービスじゃない?」
いや、サービスなんだけど、フリーレンの場合はサービスの方向が独特。
爽快にするより、後味を重くする方向にサービスしてくる。
勝っても「よかった!」より「……今の怖くない?」が残る。
この後味が、原作以上に残ることがある。
だからアニオリっぽいって感じるんだよね。
通し32話「誰かの故郷」でも、後半が北部高原の話に入って、村の近くに強い魔物がいるって情報が出る流れがある。
この“強い魔物”って言葉、バトル物ならワクワクの合図なのに、フリーレンだと違う。
「誰かの生活が壊れる前触れ」みたいに聞こえる。
だって北部って、命が軽い場所なんだよ。
寒さと距離で、人が消える。
その世界での“強い魔物”は、勝てるかどうか以前に、近づいた時点で怖い。
そして怖さを倍にするのが、キャラの反応が落ち着きすぎてること。
フェルンが慌てない。
シュタルクが頑張って平気な顔をする。
フリーレンが淡々としてる。
この淡々が、「慣れ」なのか「覚悟」なのか分からなくて、しんと来る。
ここで余計な説明を入れないのが、またズルい。
説明しないから、こっちが勝手に怖くなる。
「この優しさ、どこ向き?」みたいな疑問が、戦闘の前に生まれる。
あと、戦闘の怖さって“勝った後”にも残る。
フリーレンって勝った直後にドヤらないじゃん。
戦いが終わっても、空気がすぐ戻らない。
BGMで回収しない。
「終わったね」って言わない。
終わったのに、余韻が残る。
これが後味。
この後味があるから、次の町のあったかさが救われる。
でも救われた瞬間、また影が来る。
この往復で、静かに心を削る。
うん、心臓に悪い。でも目が離せない。
で、ここを“アニオリ(補完)”として見るならポイントは一個。
追加が「気持ちよさ」じゃなくて「怖さ」を足してるかどうか。
フリーレン2期は、今のところそっちに寄ってる。
強さを見せるんじゃなくて、強さの怖さを見せる。
だから戦闘が盛られても、テンションが上がるより、胸がきゅっとする。
そして「泣くつもりないのに泣く」側へ持ってかれる。
この盛り方、神だと思う。怖いけど。
〖胸がきゅっとする〗フェルン×シュタルクの補完が上手い理由──照れを説明せず、空気で積む
派手な事件ゼロなのに、胸だけ忙しいのが「補完の勝ち方」
32話の前半さ、フェルンとシュタルクのデート、あれ…静かに刺さりすぎてない?
派手なこと何も起きてないのに、こっちの胸だけ勝手に忙しいやつ。
ああいうのが「補完が上手い」って感じるポイントなんだよな。
まず、フリーレンのアニメって、恋愛っぽい場面でも“甘い音”で押してこない。
「はい、ここキュンです!」って照明変えない。
代わりに、間を置く。
視線を逸らす。
返事が一拍遅れる。
その一拍が長い。
で、長いのに目が離せない。
もう無理(静かに)。
シュタルクの「言葉が雑に出せない」慎重さが刺さる
たとえば、シュタルクってさ、基本は勢いとノリで動くのに、
フェルン相手だと急に“言葉が雑に出せない”感じになるじゃん。
喋ってる内容は軽いのに、言い方だけ慎重。
その慎重さが、こっちにとっては「え、好きじゃん」ってなるやつ。
でも本人は気づいてないか、気づいてても誤魔化してる。
この“誤魔化しの温度”が、アニメだとより見える。
フェルンのほうも怖い。
照れてるのに、照れてない顔で耐える。
表情が大きく動かない。
でも、目線だけ少し迷う。
手の位置がちょっと落ち着かない。
たぶん本人は「平常運転」って顔したいんだよね。
でも視線が語ってる。
あの感じ、沁みる。
台詞を増やさず、無音と生活の音で感情を育てる
ここで大事なのが、アニメが「説明しない」こと。
原作の台詞を増やして「今、照れてます」って言わせない。
むしろ逆で、台詞の前後に無音を足す。
足音とか、服の擦れる音とか、街のざわめきとか、
そういう“生活の音”を置いて、そこで感情を育てる。
これがフリーレンの補完のやり方。
うるさくしないのに、胸がきゅっとする。
それと、デートって言っても、二人がベタベタするわけじゃない。
歩く距離が近いのに遠い。
会話は続いてるのに、言いたいことは言ってない。
笑ってるのに、ちょっと緊張してる。
この矛盾が「じわる」の正体なんだよな。
恋愛っぽいのに、恋愛の音がしない。
だから逆に刺さる。
で、展望広場のところ。
あそこ、台詞そのものより「出すタイミング」がズルい。
楽しかった流れのまま出すから、軽く言ってるように聞こえる。
でも軽くない。
軽くないのに、軽く言ってしまう。
ここ、フリーレンの“旅の残酷さ”と“日常の優しさ”が一緒に出る瞬間で、
「泣くつもりないのに泣く」予感が生まれる。
説明は増えてないのに、感情の情報量が増える。
これが補完の勝ち方だと思う。
しかも後半で一気に北部高原の空気に入るじゃん。
前半があったかいぶん、後半の冷たさが刺さる。
つまり、デートの補完って「甘さを足す」だけじゃなくて、
後半の影を濃くするための土台にもなってる。
この繋ぎ方がうまい。
じわる(回復)→切ない(影)へ落とす準備として完璧。
だから通し32話まで見て、「補完の入り方が増えてる」って感じる人は多いと思う。
俺はあの静けさ、神だと思う。
〖しんと来る〗“原作との差”を疑う時の見方──順番・結果・知ってる情報だけ見る
「アニオリ入った?」が不安になるのは、補完が上手いから
ここからは、観ながら不安になる瞬間の話。
「これ、アニオリ入ってる? 改変?」ってザワつく時あるじゃん。
あれさ、フリーレンの場合は特に起きやすい。
理由は簡単で、補完が上手いから。
上手い補完って、原作読んでても「え、こんなに刺さったっけ?」ってなる。
刺さると“別物に感じる”。
別物に感じると、改変に見える。
この流れ、めっちゃある。
だから見方をひとつ固定しとくと、気持ちが楽になる。
見るのは3つだけでいい。
①順番が変わったか
②結果が変わったか
③誰が何を知ってるかが変わったか
この3つが動いてないなら、だいたいは補完か演出増し。
逆にここが動いてたら、改変寄りの可能性が上がる。
これ、頭に置いとくだけで「不安で見れない」が減る。
順番と結果:物語の骨が動いてるかだけを見る
順番って、ただの出来事の並びだけじゃなくて、
回想の置き方とか、会話の前後とか、出会いのタイミングも含む。
フリーレンは回想が効く作品だから、回想の置き方が変わると刺さり方が変わる。
でも刺さり方が変わっても、順番そのものは変わってないことが多い。
その時は「改変だ!」って焦らなくていい。
ただ、刺し方が違うだけ。
結果ってのはもっと分かりやすい。
勝ち負けが変わった、誰が助けたが変わった、行く場所が変わった、
そういう“物語の骨”が動いた時だけ、改変を疑えばいい。
通し32話の時点だと、俺の体感では、骨が別ルートに曲がった感じは薄い。
だから「大筋の改変」より「補完」が主役って見方がいちばんしっくりくる。
誰が何を知ってるか:ここが動くと緊張が変わる
いちばん大事なのが③。
誰が何を知ってるか。
これが動くと、物語の緊張が変わる。
例えば、誰かが早く気づきすぎるとか、説明が早く出すぎるとか、
逆に隠しすぎるとか、そういうやつ。
フリーレンって情報の出し方が静かで上手いから、
ちょっと出す順が違うだけで「別の意図」に見えたりする。
でも、ここも実は“見せ方”で済んでることが多い。
セリフの前の沈黙が増えただけで、情報が重くなるとかね。
その重さに引っ張られて「改変っぽい!」って感じる。
だからこそ③を見るといい。
あとさ、通し32話までで分かるのは、
アニメが足してるのは「説明」じゃなくて「感情の道筋」ってこと。
生活音、歩幅、沈黙、視線。
ここを足して、同じ台詞を重くしてくる。
同じ出来事を冷たくしてくる。
同じ優しさを怖くしてくる。
それって、出来事の改変じゃない。
受け取りの角度を変える補完。
だから疑う時は、まず落ち着いて3つ見る。
順番、結果、知ってる情報。
動いてないなら、安心していい。
そして安心したら、次は楽しい方に戻る。
「どこが増えて刺さった?」を拾う。
デートの間が増えて胸がきゅっとした?
北部高原に入った瞬間の空気が澄んでてしんと来た?
温泉地が廃れてたあの静けさで、妙に切なくなった?
そういうのを拾うと、改変探しよりずっと満足度が高い。
フリーレンって、叫ばなくても泣かせる作品じゃん。
だから、追加があるなら叫びじゃなくて沈黙で来る。
通し32話までの2期は、その方向でちゃんと増えてる。
怖いくらい上手い。
でも、その上手さは改変じゃなくて補完。
そう思って見ると、余韻がもっと気持ちよく残ると思う。
〖余韻が残る〗結局どこを楽しめばいい?──改変探しより「刺さった追加」を拾う
白黒より先に、「刺し方が増えた」を拾うほうが強い
ここまで来るとさ、「で、結局アニオリってあるの?」って聞きたくなる気持ち、わかる。
でも通し32話(2期4話)まで見た今、俺の中の答えはわりと固まってる。
大筋を別ルートに曲げる“改変”を追いかけるより、アニメが足した“刺し方”を拾ったほうが、フリーレンは100倍うまい。
だってこの作品、もともと事件の派手さで殴るタイプじゃないじゃん。
一言が重い。
沈黙が長い。
距離が近いのに遠い。
優しさがやさしすぎて怖い。
そういう“空気の刃”で静かに心を削る。
だからアニメ側が追加してるのも、事件じゃなくて刃の研ぎ方なんだよ。
生活音を足す。
歩くテンポを整える。
返事の前に一拍置く。
視線を逸らして戻す。
その積み上げで、同じ台詞が別の重さになる。
これが補完の気持ちよさ。
32話の拾いどころ:デートの間、廃れた温泉、北部高原の冷え
32話「誰かの故郷」なんて、まさにそれ。
前半のデートの場面、セリフは増やさないのに、照れが増える。
後半、温泉地の“廃れ”の空気を、音の薄さで見せる。
北部高原に入った瞬間、温度が落ちる。
こっちのメンタルだけ、すっと冷える。
この「冷え」を足すのがアニメの仕事で、そこがうまいと余韻が残る。
泣くつもりないのに泣く、の直前で止めてくるのがズルい。
だから楽しみ方のラストは、これを固定しとくと楽。
「改変探し」より「刺さった追加探し」。
疑う時は第6章の3つ(順番・結果・知ってる情報)だけ見て、動いてなければOK。
OKってなったら、次は自分の心が動いた場所を拾う。
たとえば、こういう拾い方。
・デートのどの“間”で胸がきゅっとした?
・あの一言の前の沈黙、長くなかった?
・北部高原に入った瞬間、音が変わった気がしなかった?
・温泉地の静けさ、妙に切なくなかった?
・戦闘(危機)の盛り方が、派手さじゃなく怖さ寄りで心臓に悪くなかった?
こうやって拾うと、原作既読でも「うわ、ここ増えたの神」ってなるし、
未読でも「この空気好きすぎる」ってなる。
フリーレンの補完って、説明を増やすんじゃなくて、余韻の通り道を増やすから。
その通り道が増えるほど、沁みる速度が上がる。
言い換え:話を変えるんじゃなく、余韻の通り道を増やす
ラストに一個だけ。
もし「アニオリがあるかないか」って言葉で白黒つけたいなら、こう言い換えるのが一番しっくりくると思う。
“話を変えるアニオリ”じゃなくて、“刺し方を増やすアニオリ”。
通し32話までの2期は、今のところ完全にこっち。
だから安心して、余韻を拾っていこう。
余韻が残る回ほど、あとからじわる。
それがフリーレンの強さだし、アニメの補完がハマった時の気持ちよさだと思う。
- 通し32話の今:話の流れは同じ、でも足される場面は増えた
- 足されてるのは事件じゃなく「間」:無音・目線・返事の遅れ
- 「改変?」と迷ったら3つだけ:順番/結末/誰が知ってるか
- 同じ台詞でも重くなるのは、言う前の数秒が長いから
- デート回:照れを説明せず、近いのに遠い空気で見せる
- 温泉地:行ったら寂れてた…音が静かで胸がきゅっとする
- 移動パートが丁寧:足音・食器・宿の静けさがやたら効く
- 危機の場面:派手さより「詰んだ感じ」を足して怖くしてくる
- 見るコツ:改変探しより「どこで刺さったか」を拾う


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